ドイツ国際平和村の新代表就任に際して
2019年7月、ドイツ国際平和村は新代表を迎えました。40年近く、そのうちの過去10年を代表として、活動に携わってきたトーマス・ヤコブスは、ビルギット・シュティフターとケビン・ダールブルフに代表を引き継ぎました。トーマス・ヤコプスと副代表ヴォルフガング・メアテンスは、今後アドバイザーとしてこの新しい代表たちをサポートしていきます。このインタビューでは、読者の皆様に私たちの共同代表二人を紹介したいと思います。
ビルギット・シュティフター
(49歳、ミュールハイム アン デア ルーア在住)
ドイツ国際平和村を知ったきっかけは何ですか?
大学卒業後は開発協力に関わる仕事に就きたいと心に決めていました。就職活動中、ドイツ国際平和村を偶然見つけて、すぐに応募しました。
これまで、そして現在の仕事内容は何ですか?
始めは人事部で働いていましたが、2004年以降は海外での現地プロジェクト活動と寄付・基金関連の部署を統括しています。共同代表は、それぞれ仕事を分担しており、私は現地プロジェクト、寄付物資管理、平和教育を担当します。ケビン・ダールブルフと私は、これまでの経験をそれぞれ活かし、紛争地域や危機的状況にある地域のケガや病気を抱えた子どもたちを広く支援していきたい思っています。私たち二人はこれまでドイツ国際平和村の様々な部署で働き、この組織の独自性をよく理解しています。これから代表として職務を行うにあたって、これはいいベースになると思います。
2000年に働き始めてから、ここで働き続けようと思うまでどれくらいかかりましたか?
働き始めてすぐに、ドイツ国際平和村が、私だけでなく多くの人にとって、唯一無二のものであることを感じました。また、ドイツ国際平和村には様々な部署があり、それが働く者に興味深い選択肢を与えていることを確信し、ここで働き続けたいと思いました。このようなことは、私にとって今までにはなかった特別なことなのです。
ドイツ国際平和村の仕事から何を学びましたか?その学びから自身に変化はありましたか?
ドイツ国際平和村の仕事を通して自分の視野が広がり、私自身の問題も別の視点から見ることができるようになりました。それは特に子どもたちに会った時に強く感じます。
また、連帯感、責任感を持つことや寛容であることを実践し、そして守ることがどれだけ重要なことか、私の中でその価値が増々明確になりました。そのため今後も、平和教育部門で、その重要性を伝えて、より自覚を持つよう促していきたいと思っています。ちょうど今、私の娘世代が、若い世代として責任を引き継ぎ、例えば人種差別や気候変動などの社会問題に向き合おうとしています。
ビルギット・シュティフターと元代表トーマス・ヤコブス カンボジアでの幼稚園プロジェクトの訪問にて
あなたは現地プロジェクト活動の一環として様々な国を訪れましたが、
特に記憶に残った経験や思い出はありますか?
心を動かされるのは、人々のオープンさと、子どもに健康な人生を送るチャンスを与えるためドイツ国際平和村に子どもを委ねる家族の大きな信頼です。また、現地のパートナー団体とドイツ国際平和村の間にしっかりした信頼関係と協力関係が築けているだけでなく、友好関係が芽生えていることも素晴らしいと思います。これらは、子どもたちの母国で持続的に現地プロジェクトを行うための土台です。また、私たちは、パートナー団体の判断を信頼しています。彼らは現地の需要や個々のプロジェクト案が実行可能であるかといった点に関して、現実的な視点を持つエキスパートです。彼らがいるからこそ、私たちは長期的に人々の役に立つ多くのプロジェクトを実現させることができています。
活動をしていく上で多くの難題に挑むモチベーションは何ですか?
ドイツ国際平和村の歴史は、挑戦を通して成長できることを示しています。私たちは、それぞれの部署が力を発揮し活動を行っている集合体です。世界中の子どもたちに適切な医療を提供する道を今後もチームとして見つけていけると感じています。これらが私のモチベーションです。
共同代表としてどのような課題に取り組んでいきますか?
私たちは代表として、社会の変化に対応しながら、団体の設立目的を最善な形で実行していかなければいけません。大きな課題は、協力病院による無償の治療受け入れが減っている問題です。そのため、現在手術室を備えたメディカル・リハビリセンターを新たに建設することで改善しようと動いています。この新しい施設によって協力病院の負担を減らし、より能率的に子どもたちの治療を進めることができるようになるでしょう。ここでは、ボランティアの医師も手術を行う予定です。また、私たちが取り組まなければならない更なる課題としては、衣服の寄付の状況です。衣服の寄付は継続してたくさん寄せられていますが、残念ながら衣服の質が低下しています。ファストファッションブランドの服は品質が良くない場合が多く、寄付された時点で状態がすでに悪いものが度々あります。また、残念ながら、最近ドイツ国際平和村の衣料品寄付用のコンテナを、不用品処分をするためのゴミ箱のように利用する人がいます。私見ですが、最大の挑戦は、絶え間なく変わり続ける社会の中に、ドイツ国際平和村の歴史とその任務をうまく取り込んでいくことだと思います。
ドイツ国際平和村が設立してから52年が経ちました。あなたにとってドイツ国際平和村はどのような存在ですか?
「同じ目標に向かい、力を合わせる」「人間らしくいる」といったことを意識させてくれる場所です。また、自分の行動によって満足感を得られる機会がある場所でもあります。ここには、他の場所では経験できないような格別な瞬間がたくさんあります。
ドイツ国際平和村の将来に何を願いますか?
子どもたちに支援を届けるために、共に歩んでくれる人が多く現れることを願っています。
ケビン・ダールブルフ
(38歳、エッセン在住)
ドイツ国際平和村の活動に参加することになったきっかけは何ですか?
2000年に、ツィヴィ(兵役義務を拒否し福祉活動に従事する者)として、ドイツ国際平和村の活動に参加しました。生まれは、ドイツ国際平和村があるオーバーハウゼン市で、両親の家もこの近くにありますが、それ以前はドイツ国際平和村この団体のことを知りませんでした。ドイツ国際平和村でツィヴィとして働くことを勧めてくれたのは、母でした。
これまで、そして現在の仕事内容は何ですか?
2000年8月、当時私は教師を目指していたので、平和教育部門の担当になりました。始めてすぐこの仕事がとても好きになりました。ツィヴィとしての活動後、子どもたちのお世話をする部署で登録ボランティアをしないかと誘われた時、迷わず了承しました。その後、教職過程を大学で履修しながら、引き続きこの活動に関わり続けました。そしてある時、大学にいるより長い時間をドイツ国際平和村で過ごしていることと、教師になる夢が自分の中になくなっていることに気づき、社会学に転向しました。2007年、大学を卒業し、ドイツ国際平和村の職員として働き始めました。最初の2年間は、さまざまな部署で働きました。例えば、経理部、領事部、寄付された物品などを管理する倉庫、リハビリテーション部、キッチン、車輌部などです。いろいろな部署を知ることができたことは、その後の助けになりますし、貴重な経験にもなりました。2002年には、アンゴラへの援助飛行に参加しました。その時、私は当時のドイツ国際平和村代表ロナルド・ゲーゲンフルトナーに同行し、初めて現地へ赴きました。その時の印象がとても強く残っています。その後、アンゴラの援助飛行に毎回同行するようになりました。そして、2008年には、アフガニスタンの援助飛行に初めて同行しました。2009年にゲーゲンフルトナーが他界し、トーマス・ヤコプスが新代表となりました。2010年に、私自身が副代表として就任し、運営に関わるようになりました。この時、プラクティカント(研修生)や登録ボランティアの受け入れ担当も引き継ぎましたが、この役割は、私に多くの喜びをもたらしました。2019年7月1日に代表に就任してからは、ビルギット・シュティフターと担当を分担して業務に取り組んでいます。私の担当は、子どもたちの治療支援全般です。子どもたちが治療を受けるドイツ各地にある協力病院、子どもたちが生活する平和村施設やリハビリテーションを管轄しています。
2000年に働き始めてから、ここで働き続けようと思うまでどれくらいかかりましたか?
アンゴラ援助飛行に初めて同行したときのことがとても深く印象に残っています。その後、ここで働き続けたいと確信するようになりました。大衆から注目されなくなり忘れ去られてしまった戦争や紛争地域の子どもたちのために必要な治療援助を、ドイツ国際平和村は長年継続して行っている点がとても気に入っています。また、数十年以上続くドイツ国際平和村の歴史には、大変な時期もありましたが、ツィヴィとして働いていた当時から常に自由な意見交換がある点についてすでに感銘を受けていました。今でもドイツ国際平和村の活動を通して出会う様々な方々との交流に魅力を感じています。登録ボランティア、インターン生、職員、日本人ボランティアや子どもたちの母国の現地パートナー団体スタッフなど皆が一緒になって子どもたちを助けようと奮闘しています。
ドイツ国際平和村の仕事から何を学びましたか?あなた自身が変わったことはありますか?
ドイツでの暮らしや自分が抱える問題に対する視点が変わりました。活動を通した様々な文化、社会階層、年齢層の人々との出会いが、私の人生を豊かにしてくれています。
あなたは援助飛行活動の中心的な役割をしていますが、特に心動かされることは何ですか?
ヘンリケというアンゴラの少年のことをよく覚えています。ヘンリケは重度の骨髄炎を患っていて、ドイツ国際平和村が特に気にかけている子どもでした。6か月後、彼はドイツでの治療を終え、自分の足で歩けるようになって帰国しました。彼の両親も自分の足で歩けるようになったという事実を信じられませんでした。とても素晴らしい経験でした。また、以前治療のためにドイツに受け入れた「かつての子どもたち」に会うことも特別な瞬間です。例えば、2000年4月にウズベキスタンへ視察・訪問した際に出会った、「かつての子ども」であるイノヤトゥラは医者助手になり、現在、医療従事者として彼の故郷の人々を助けています。
ケビン・ダールブルフ タジキスタンに現地入りの際に
ドイツ国際平和村の新代表として、どのような課題に取り組みたいと思っていますか?
団体の定款には、「紛争地域や危機的状況にある地域のケガや病気を抱えた子どもたちに迅速かつ非事務的な援助を続ける」とあります。しかし、これが年々難しくなってきています。ドイツだけでなく子どもたちの国々においても、数年前に比べると手続きがより事務的に、複雑になっています。ドイツ国際平和村が多くの官庁から認知され、協力を受けているにもかかわらずです。中心となる課題は、特にドイツにおける医療界の環境変化とそれに伴う無償での治療受け入れの問題です。子どもたちへの治療援助は何をおいても全力で続けなければいけません。私たちは、援助飛行を行う度に、緊急にドイツで治療を受ける必要のある子どもたちをたくさん見ています。より多くの子どもたちへ治療援助を可能にするあらゆる選択肢を見つけるため、私たちは代表として広い視野を持つ必要があります。また、良いチームとして機能している団体の強みを生かしていきます。 大きな挑戦になるのは、新しいリハビリテーション施設を稼働させることです。多くの人が、特に医師が、すでに計画段階から協力してくれていることに心を打たれます。
ドイツ国際平和村が設立してから52年が経ちました。あなたにとってドイツ国際平和村はどのような存在ですか?
そもそもドイツ国際平和村のような援助団体が存在しなければならないこと、52年経った今でも助けの必要な子どもたちがまだ多く存在することには驚きとともに愕然とします。一方で、この52年間は、ドイツ国際平和村が知識と経験を積み重ねてきた歳月です。成果も失敗も同様に語り継ぎ、オープンに議論を重ねてきました。だからこそ、私たちは、それを今後に生かすことができます。
ドイツ国際平和村の将来に何を願いますか?
これからもより多くの人々が、紛争地域や危機的状況にある地域の子どもたちへの活動に協力してくれることを願います。長期的には、現地でのプロジェクト活動によって、より多くの子どもたちの治療が故郷で可能になることを願っています。現状では、子どもたちの母国では、残念ながら限られた治療しか受けることができません。もちろんいつかドイツ国際平和村の援助活動が必要となくなったら、素晴らしいですね。
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