第71回目のアンゴラ援助

ドイツ国際平和村がチャーターした飛行機から、治療を終えた42人の子どもたちが降りています。
(アンゴラのルアンダ空港)

 

「援助活動は継続されなければなりません。」

ドイツ国際平和村は、第71回目のアンゴラ援助を無事に実施することができました。10月4日、治療を終えたアンゴラの子どもたち42人が、チャーター機に乗り、帰国の途につきました。数か月にわたる治療を終え、アンゴラの首都ルアンダに到着し、家族との再会を果たしました。そのチャーター機の復路便で、ケガや病気を抱えた子どもたちがアンゴラを飛び立ち、10月6日午後、ドイツ・デュッセルドルフ空港に到着しました。ドイツ国際平和村のスタッフ3人が、援助飛行の前に現地入りし、アンゴラ現地パートナー団体「Kimbo Liombembwa」とともに、ドイツでの治療を必要としている子どもたちと面会し、援助飛行の準備を行っていました。現地入りしたドイツ国際平和村スタッフにとって、援助活動の継続が必須であることは明らかでした。

不十分なアンゴラの医療供給

ドイツ国際平和村は、28年間、アンゴラへの援助を継続してきました。第1回目のアンゴラ援助は、1994年に実施しました。当時、この国は内戦の真っ只中にありました。アンゴラでは、1961年、ポルトガルからの独立を目的に、武力衝突が発生しました。1975年、アンゴラはポルトガルから独立しましたが、その後内戦に突入し、約30年間続きました。(1975年から2002年) アンゴラは、この内戦の傷跡に今なお苦しんでいます。この国の豊富な地下資源によって、内戦後、高度成長を遂げましたが、その恩恵を受けたのは、一般の国民ではなく、海外の企業や富裕層のみです。その帰結はルアンダの街並みにも表れています。きらびやかな超高層ビルが立ち並ぶ一角のそばから、トタン屋根の家屋が続きます。保健医療の状況は変わらず深刻です。国立の病院でさえ、医療設備が整っていません。加えて、人手不足が問題です。設備が整っている私営のクリニックでの治療費は、大部分の国民のとって支払いが可能な額ではありません。首都ルアンダから離れるとさらに状況はひどく、医療供給がほぼ皆無に等しい地方もあります。支払いが可能な少数の国民は、複雑な治療の場合、医療状況の良い他の国々にて治療を受けています。例えば、ナミビア、南アフリカ、またはスペインやポルトガルなどの国々です。アンゴラ国内では首都ルアンダがまだ状況が良いほうですが、多くの家族にとって、ルアンダまでの交通費も大きな負担です。そして、道路が整備されていないため、例えば、南部の州から首都までの道のりに20時間もかかることがあります。

子どもたちとその家族との面会

ドイツ国際平和村は、このような問題はありますが、遠方の州の子どもたちにも医療援助を可能にしたいと考えています。20年以上協力関係にある現地パートナー団体が尽力してくれています。現地パートナー団体は、首都ルアンダだけでなく、州それぞれを担当するスタッフを配置し、ルアンダでの面会のために州からまとめて子どもたちを連れてきて、治療を終えた子どもたちで同州出身の子どもたちを連れて帰ります。「ドイツ国際平和村スタッフが現地入りする数か月前から、各地の州へ向かい、治療を必要としている子どもたちの様子を見て回ります。」と、現地パートナー団体のセべリーナ医師が説明します。「可能な限り子どもたちをアンゴラ国内で治療したいです。ただ、残念ながら不可能です。特に地方では、医療供給が滞り、何もできません。」 今回の首都での面会にも、ベンゲラ州、ビエ州、ウイラ州、ウアンボ州、クネネ州、クアンザ・スル州から子どもたちがやってきました。泌尿器系疾患を抱えた子どもたちや四肢に重度の変形を抱えた子どもたちです。それにより、生活の質が限定されています。特に尿道狭窄症を持つ子どもたちが多いです。ドイツ国際平和村スタッフ、ビルギット・ヘルムートは、「泌尿器系関連の医療機器や医療品はアンゴラではほぼ手に入りません。特に乳幼児用はありません。」と語ります。ドイツ国際平和村スタッフは、今回約100人の子どもたちと面会をし、そのうちの43人とともにドイツに戻りました。この43人の子どもたちは、これからドイツにて治療を受けます。子どもたちの中には、ドイツ国際平和村のメディカル・リハビリセンター内の手術室にて手術を受ける予定の子どもたちもいます。

アンゴラのサンドラ医師がセベリーナ医師とともに、子どもたちの診察をしています。

顎に疾患を抱えていたエリアスは10年前にドイツにて治療を受けました。
現在はルアンダで、洋裁師として働いています。

「かつての子どもたち」はアンゴラの希望

ドイツ国際平和村スタッフは、今回も現地ルアンダで、以前ドイツ国際平和村の援助を通して治療を受けた「かつての子どもたち」に出会いました。デスティーノはインターネットを通して、アンゴラにドイツ国際平和村スタッフが来ていることを知りました。彼は、2002年と2003年から2004年にかけて、ドイツにて治療を受けていました。彼は内反足を抱えており、2度目の渡独時は骨髄炎を患っていました。今では25歳になった彼が、当時を思い出しながら語りました。「新しいことばかりでした。ドイツに行ったばかりの頃は、少々懐疑的だったことを覚えています。多くの知らない子どもたち、多くの名前。全員の名前を覚えるのは無理だろうと思っていました。でも、すぐに慣れて、すぐに名前も覚えられ、日々は楽しかったです。現在、こうやって健康でいられることに感謝しています。」 デスティーノは、多くの「かつての子どもたち」の一人です。他にも、大学に行ったり、卒業して、物価の高いルアンダでの生活を可能にしているかつての子どもたちもいます。かつての子どもたちの話を聞くと、アンゴラでの援助活動を続けていく希望が見えてきます。

この場をお借りして、今回の援助飛行を可能にしてくださった全ての皆様に心よりお礼申し上げます。チャーター機の費用は、今回もバイエルン慈善公共放送(Sternstunden e.V.)の支援を受けました。オーバーハウゼン市交通局、デュッセルドルフ空港、ドイツ・バイエルン赤十字の協力をいただきました。​

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