矢倉医師からの報告 アフガニスタン援助飛行

~矢倉医師からの報告 アフガニスタンへのチャーター機に同乗~

2022年3月23日から24日にかけてアフガニスタンの援助飛行が行われました。ドイツ国際平和村から母国に帰国する治療を終えた19人の子どもたちに付き添い、そして新たに治療を受けるためにドイツにやって来た89人の子どもたちを迎えに行くために、アフガニスタンのカブールまでチャーター機に同乗した整形外科医の矢倉幸久氏にその様子を報告いただきます!
今回帰国した子どもたちの多くは、コロナの影響もあり、治療で長くドイツに滞在していた子どもたちが多かったのですが、帰国した子どもたちのチャーター機内の様子はどうでしたか?
搭乗し、離陸してからはしばらくの間、みんなだいぶ興奮していました。しかし、夜の出発ということで機内食が出るころには半分寝ぼけながら食べている子がいたり、食べずにすっかり眠ってしまっている子も多かったです。トビリシに着陸するときは横になって寝ていた子も一度起こして座らせて、シートベルトを締めなければなりませんでしたが、どうしても眠くてすぐに横になってしまう子が多かったです。そんな子は横になったままでシートベルトを締めました。
実際のチャーター便のスケジュールは?
ドイツ・デュッセルドルフからジョージアのトビリシを経由し(そこで給油と乗務員の入れ替え。すべて男性の乗務員に代わりました。)、アフガニスタン・カブールまで向かい、カブールでは子どもたちの降機と搭乗で約1時間ほど滞在したのち、再び折り返しの行程でドイツまで戻りました。飛行時間は合計で約16時間というハードな日程でしたが、トラブル無く終えることができました。
子どもたちが母国へ到着したときの様子を教えてください。
ヒンドゥークシュ山脈が見えてくると、ほとんどの子どもたちが窓に張り付いて、その景色に見入っていました。きっとそれぞれに深い思いがあったと思います。大きな子がアフガニスタンの美しい雪と山について説明してくれました。カブール空港に着陸すると機内は拍手と“nach Hause! nach Hause! (ナッハ・ハウゼ 家に帰るぞ!)”の大合唱でした。みんな満面の笑みでした。
治療を終えた子どもたちがチャーター機から降り、それと同時にケガや病気を抱えた子どもたちがチャーター機に搭乗しました。最初の印象を教えてください。
治療を終えた子どもたちが降機し、子どもたちの荷物(バッグなど)を飛行機から降ろしている時、すでにタラップの横に停車していたバスの中に、これから搭乗してくる子どもたちの姿が見えました。重症の子どもの身体を固定して搬送するバキュームスプリント(全身固定用マットレス)が広げられ、その上に数人のスタッフが子どもを慎重に寝かせていました。

私はデュッセルドルフ空港まで9時間の飛行中、何事も起こらずに無事に搬送できることを祈っていました。
重症の子どもを機内後方に準備した座席に、バキュームスプリントごと固定すると、続いて次々と子どもたちが搭乗してきました。その数の多いこと。アフガニスタンで治療を受けることのできない子どもたちがこんなにもたくさんいる。しかもこのチャーター機に乗ってきたのは、そのうちのほんの一部でしかないという現実をとても悲しく思いました。

カブールからドイツへ向かう間、チャーター機以内の様子はどうでしたか。
おそらく初めて親元を離れたであろう小さな子はしばらく泣いていました。89名の子どもたちの中には、以前平和村で治療を受けており、今回は追加治療や装具の作り直しのためにドイツに再びやってくる子どもも何人かいましたが、それ以外の初めてドイツにやってくる子どもたちのほとんどは、不安そうな表情でした。機内で配られたペットボトルの水や機内食のパンなどにも手を付けずにいるところを、少し大きな子が食べるように促している姿はジーンときました。
時間が経つにつれて、子どもたちの表情も少しずつ落ち着いてきましたが、次に忙しくなったのはトイレでした。来る前におしっこしたいときの合図は覚えてきている子どもたちですが、なかなかうまく伝えられない子もいて、何かを訴えているのをこちらがわかってあげられないもどかしさがありました。やっと理解してトイレには入ったところまでは良かったのですが、便器に座るのが間に合わず・・・という子が数人いました。シートを汚さずに頑張ってくれたのですが、機内後方のトイレの床掃除はやらせていただきました。そして、おむつ交換も。病的骨折したままで全身をバキュームスプリントで固定されている子は紙おむつをしています。当然おしっこもうんちもしますので、9時間近い飛行中に交換は必要になります。スタッフと協力し、狭い機内で痛みが出ないように身体とギプスを手で固定して持ち上げ、そのすきに子どもに痛い思いをさせないよう、おむつ交換をするというはなれ技も数回行いました。アフガニスタンから同乗したマル―フ医師らと相談して鎮痛剤を内服させた子もいました。
機内で状態が急変するなどの緊急事態は発生しませんでしたが、これだけの数の重症の子どもたちを9時間かけて搬送することは子どもたちにとって、とても負担ですし、一緒に付き添うスタッフの協力もとても大切だと感じました。デュッセルドルフ空港に着陸し、全ての子どもたちが降機し、最後の最後に私は飛行機を降りました。往復で19時間近いミッションでしたが、疲れたというより、ほっとしたという気持ちが一番でした。

ドイツでの初診にも立ち会われていますが、そのときの様子を教えてください。

なま傷のひどい子どもたちの多くは空港から直接入院していましたが、施設へ移動してきたこの中にも症状がひどい子どもはたくさんいました。骨髄炎とそれによる病的骨折でギプスを巻かれてきた女の子。ギプスが膿だらけであまりにひどいので、ギプスをカットすると何ヶ月前に巻かれたギプスをそのままにされていたのか膿に見えたのは数ヶ月分のアカがふやけていたものでした。また、仕掛けられた爆発物で身体の一部を失い、ひどいやけどを負った男の子。キズの処置の痛みに必死に耐えていました。骨髄炎の治療できた女の子。胸の音を聞くと整形外科医でもわかるくらい心雑音がありました。現地では発見されず、ドイツに到着してから新たな病気が見つかる子もいます。
他にもここには書ききれないくらい一人ひとり重い症状を抱えています。

このホームページを読んでいる方へ伝えたいことを是非!

いま世界はロシアによるウクライナ侵略戦争に目が向けられていますが、今回のアフガニスタン援助飛行ではそんな状況の中、チャーター便はウクライナのすぐ南、黒海を通ってドイツからアフガニスタンに向かいました。そしてアフガニスタンの現地で治療を受けられない子どもたちをドイツまで搬送してきました。

現在、平和村施設内にはウクライナからの避難民が一時的に身を寄せています。2011年に始まったシリアの内戦の時にも、平和村施設や平和村近くの施設にシリア難民が滞在していました。

昨年8月、政権の変わったアフガニスタンに世界の人が目を向けていたと思います。昨年2月には軍事クーデターが発生したミャンマーに注目していたと思います。今年1月にはトンガ沖で大規模噴火が発生しました。みなさんはどこまで覚えていますか?

日本ではウクライナの状況ばかりが毎日報道されていますが、今同じとき、シリアでも、アフガニスタンでも、ミャンマーでも、明日自分が生きている保証のない厳しい状況の中で生きている人がたくさんいる、ということに気付いて、目を向けてほしいと思います。

私は実際にアフガニスタンの子どもたち、ウクライナからの避難民に接することにより、あらためて、日本は贅沢すぎる、平和ボケの国だと強く感じています。同じ地球に生まれた人たち。私たちとは生まれた場所、生活している場所が違うだけで、皆同じ人間です。

全ての人を支援することは難しいですが、まずは目を向けることから始め、そんな中からそれぞれ自分にできる範囲の支援を考えていただければと思います。

写真:Sandro Somigli &ドイツ国際平和村

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