カンボジアから報告

温かい食事と清潔な衛生環境を子どもたちへ

プノンペンのゴミ山の傍らで生きる子どもたちを支えるプロジェクト
ジャーナリスト・ウリ・プロイス氏の報告

首都プノンペンのゴミの中から生活の糧となる物を探し求めて生計を維持している人々(ウェスト・ピッカー)。彼らの子どもたちは、廃棄物置き場の傍らで生活しています。カンボジアの現地パートナーであるヘング氏(56歳)は、このような環境にいる子どもたちを支援するため、幼稚園プロジェクトを立ち上げました。ドイツ国際平和村は、このプロジェクトを支援しています。

もしこの幼稚園がなければ、4歳のネアン・タは、ゴミを糧に生活せざるを得ない他の家族の子どもたちと同じように、廃棄物置き場で一日を過ごすしかありません。けれども、彼女の母親(39歳)は、ヘング氏が運営する幼稚園にネアン・タを預けることができるようになり、それ以来、母親の負担が軽減しました。ネアン・タの母親はカンボジア最大の廃棄物置き場にて、シフト制でビール缶を集めています。この広い廃棄場で手あたり次第に探して集まった60缶は、約80セントの取引で、業者に渡されます。意外と割の良い仕事だと思う人もいるかもしれません。しかしプノンペンには、廃棄物置き場から生活の糧を得ている人が5000人以上も存在し、彼らの多くが、アルミニウム缶を専門としていることを忘れてはいけません。この母親が、1日に1ユーロ以上を手にすることはありません。

プノンペンには、非公式の情報では300万人以上の人々が生活しているとされています。この都市から排出されるゴミは、都市郊外に新たに設置された廃棄場のマカラ通りに運び込まれます。そこは33ヘクタール(0.33㎢)で深さ10メートルの穴が掘られましたが、すでにその3分の1がゴミで埋もれています。ゴミ収集トラックが並び、毎日約3000トンの廃棄物が運び込まれます。また、「スモーキー・マウンテン」と称され世界的にも有名な別のゴミ山では、昼夜の別なく一日中ゴミが燃えていました。現在そこには、メタンガスが溜まっています。

新設の廃棄物置き場の写真撮影は禁止されています。安全性を考慮してとされていますが、過酷すぎる労働条件を見せたくないというのが、実際の理由ではないでしょうか。

親が廃棄物置き場から糧となる物を探している間、子どもは親のそばに座っています。親に子どもたちの行き場所について質問すると、彼らは怒りと悲しみと絶望が混じった様子で、どこにも行きようがないと答えます。このようにカンボジアの社会には、他の選択肢がない人々もいます。小さな子どもたちは、適切な衛生環境が保持されている場所におらず、温かい食事も食べられず、教育も受けられないのです。さらに、様々なケガの危険性と日々隣り合わせの状況にいます。幼稚園、そして学校教育への支払いが可能な家族はここにはいません。とても残念なことに、廃棄物置き場に来てしまった子どもたちは、大人を手伝うかのように、幼いうちから糧となるような物を探すようになることです。

この状況をヘング氏は見ていられませんでした。彼は、旧東ドイツのライプツィヒにある大学で物理を学びました。2人の息子を持つ父親であるヘング氏は現在、廃棄物管理のコンサルティングを行う会社を設立・運営し、ゴミの中から生きる糧を得ている人々の生活環境改善にも取り組んでいます。子ども時代をポルポト政権のもとで過ごし、その権力のもと苦しんだ体験を綴った本も出版しました。彼は「誰からも目を向けられていない子どもたちを助けたい」と決心し、約20年間、人道援助団体「ドイツ国際平和村」とともに活動しています。ドイツ国際平和村も、彼の意志に賛同し、支援を続けています。

まず彼は、子どもたちや青年たちのための社会福祉関連施設を設立しました。設立初期は、目の不自由な人々に、食物栽培やその経営・管理を行う職業訓練の機会を提供していました。この国では、多くの人々が土地が授けてくれるものからでしか生活の糧を得ることができていません。その状況下で暮らしていくためには、この職業訓練は必要不可欠なのです。

そして、現在この施設には更に2棟が増設され、そこからはエネルギッシュな子どもたちの声が聞こえてきます。20人の子どもの受け入れから始まったこの幼稚園には、現在95人の幼児が通い、子どもたちに安らぎを与えています。また、その2棟の他に、遊戯用の建物が建設されています。

この幼稚園では、5つのグループに分かれた子どもたちに6人の幼稚園教諭が従事しています。3歳から5歳の幼児全員が、お揃いのオレンジ色の幼稚園Tシャツを着用しています。ここでは皆が同等に扱われます。幼稚園教員の他に、8人のスタッフが、施設管理や調理などその他の業務に携わっています。

4歳のネアン・タは、この日、他の子どもたちに色鉛筆を配る係をしていました。鉛筆を1本1本丁寧に2本の指で取り出し、ガラス製のお箸であるかのように丁寧に配っています。このグループでは、文字に親しむため、文字型の色塗りをするようです。昼食前には、教員が衛生について子どもたちに伝えます。「一緒に手をきちんと洗いましょう。寝る前、食事前、手洗いを忘れずに!」と、カンボジアの言語・クメール語で子どもたちが歌います。幼稚園設立者のヘング氏は、「言語教育と就学前教育に並行して特に重要なのは、これからこの国を支えていく子どもたちに社会的行動を伝えていくことだ。」と強調します。

ネアン・タの1日は、朝7時から始まり、午後4時に幼稚園バスに乗って帰宅します。帰宅時は、母親が家の近くの通りまでネアン・タをお迎えに待っています。ネアン・タ一家の住まいは、廃棄物置き場の南部にある村の道端にあります。ゴミの中から生活の糧を得ている24家族が、小屋を24に区切って住んでいます。

幅の広いマットレス一つ分の大きさの空間に、ネアン・タ、母親、弟、叔母が生活しています。床には、竹素材の薄い板が敷かれています。日中は、床の上で料理と食事をするために、マットレスを壁に立てかけています。現在は1月で暑いですが、乾燥しています。しかし、雨季には、床のすぐ下まで浸水してしまいます。床と下水との間は、20センチもないほどです。トタン板の壁、閉まらないドア、ガラスのない1m四方の窓。


トタン板に仕切られた空間で生活しています。

ここに住む24家族の住まいは、どれも同様な造りで、トタン板で仕切られただけの住まいです。家賃は、5万リエル(11ユーロ)で、その支払いだけでも困難なのに、水道・光熱費が月15ユーロ加わります。なんとかして支払って残ったお金で食料を調達します。

彼らは、カンボジアの地方から首都にやって来ました。この人々にとっては、少ない収入でも、地方で全く何もない生活よりはましなのです。彼らの多くは文字が読めません。例えば、出生届のための書類も記入することができないので、施設のスタッフが手伝っています。最近浮上してきたのは、マイクロクレジットよる問題です。マイクロクレジットでは、50ドルから500ドルほどの少額を融資します。犯罪に関わる違法の契約がある場合もあります。一旦クレジット返済の悪循環に巻き込まれると、元から多くを持たない人々は一文無しになってしまいます。

ヘング氏の運営するこの幼稚園では、ネアン・タの母親のような保護者から託児料の支払いは求めません。「支払いが可能な保護者からは、月に25ユーロを受け取りますが、ほとんどの保護者にとっては支払いが困難です。」とヘング氏は言います。幼稚園では、園児教育プログラムの他、温かい食事を毎日提供しています。この幼稚園プロジェクトを、ドイツのある企業と2つの人道援助団体が支援しています。その団体のうちの1つが、ドイツ国際平和村です。ドイツ国際平和村は、この幼稚園プロジェクトだけでなく、基礎健康診療所をカンボジアの地方各地に建設するプロジェクトも支援しています。

この幼稚園は通りの端に建っています。アジアで急成長している都市の一つであるプノンペンでは、至るところに建築中の建物があります。メコン川とトンレサップ川の合流地点あたりには、外資系銀行の高層ビルが立ち並んでいます。このプノンペン市中心から数キロメートル離れた郊外にある幼稚園のあたりでは、未来と過去が交錯しています。幼稚園から200メートル弱離れた場所にはクメール・ルージュ政権下の卑劣な過去と向き合う「Choueng Ek Genocidal Center (チュンエク虐殺博物館)」があり、世界中から人々が訪れています。そこには頭蓋骨が展示され、死者への追悼が込められています。

ゴミを生活の糧に生きる家庭の子どもたちが通うこの幼稚園では、国の未来の担い手たちが、手をつなぎ、皆で歌いながら食堂に向かっています。今日の献立は、パンケーキのような料理に中華鍋で炒めた野菜と香ばしいごはんです。今日の献立は、ネアン・タの好物でしょうか。いや、悲しい目をしたこの小さな女の子にとっては、毎回の食事がご馳走なのかもしれません。

背景:

ドイツ国際平和村は、約20年前に初めて、医療システムが整わず、母国カンボジアで適切な治療を受けることができない子どもたちを受け入れ、ドイツでの治療の機会を提供しました。2002年以降は、特に医療インフラの整っていない地方の人々に基礎医療を提供するために、基礎健康診療所の建設プロジェクトを進め、2020年4月現在までに36軒をカンボジアの各地に開設しました。診療所では、WHOの規準に基づく予防接種のプログラム、妊婦指導、衛生指導、出産、軽度の病気や簡易な手術が受けられます。

観光客で賑わうアンコールワット

カンボジア:2つの顔を持つ国への旅

カンボジア王国は、未だに身を守らなければならないかのように、山々と海に囲まれています。南はタイランド湾に面し、北西にはタイ、東にはベトナム、そして、北には静なるラオスとの国境に接しています。カンボジアには、クメール王朝の千年以上におよぶ歴史、前世紀に伐採されてから手をつけられていない自然、そして、毎年300万人以上が訪れるアンコールワットをはじめとした重要な文化財があります。さらに、この国の中心には魚が豊富なことで有名なトンレサップ湖、メコン川、バサック川がこの国を脈動する生命線のように存在します。

カンボジアの人口1600万人が、満足な食事ができ、健康で、裕福な暮らしができれば良いのですが、現実はそうではありません。そのような生活は、多くの人にとっては、手の届かない夢です。路上で物乞いや、ゴミを集めて生活している人々のそばで、新しい道路を高級リムジン車が走っている両極端な光景は、ずいぶん前から首都プノンペンの日常になっています。かつてクメール王朝で栄えたカンボジアでは、貧富の差は縮んでおらず、それは高層ビルとブリキ小屋や、真新しい道路と埃舞う畑道に象徴されます。

トゥール・スレン 虐殺博物館

カンボジアを旅すると、悲惨な出来事がつい数十年前に起きていたことを感じさせない、温厚で親切な人々に出会うでしょう。この国の人たちは、加害者と犠牲者がその子孫とともに同じ町や村に平然と暮らしていることをどう捉えているのだろうかと考えます。第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争)、クメール・ルージュ、そして、その首謀者ポルポトによる残酷な時代の記憶は、今も忘れられずに残っています。当時の主導者たちは、すでに亡くなっているか、獄中で老年を過ごしています。正確な数字は分かりませんが、1975年から1979年の間に約300万人もの人々が虐殺されました。現在、プノンペン郊外のキリング・フィールドといった慰霊塔や首都プノンペンにあるトゥール・スレン尋問刑務所には、その歴史に触れようと世界中から多くの人々が訪れています。

 

首都プノンペンは急成長を続ける「ブームの街」となりました。外資系の銀行の高層ビルがそびえ立ち、ショッピングモールも拡大しています。シンプルなホテルも高級ホテルと同じ数ほどあります。首都には国民から人気のあるノロドム・シハモニ国王の王宮もあります。フン・セン首相は、この国を統治して36年目となりますが、彼はカンボジア人民党(CPP)の議長でもあり、2018年の選挙では他の党に1席も議席を譲りませんでした。

プノンペン

プノンペンの中心から離れると、本来の活発な生活が身近なところに溢れています。カンボジアの人々は幹線道路沿いで生活の糧を得ています。何百キロメートルも続く国道沿いで、小さな町々やその郊外の土地の生活が垣間見られます。商人たちは、大きな声で売り込み文句を言いながら販売しています。興奮して鳴いている鶏の横には、屠殺されたばかりの豚肉が置かれ、桶の中では魚が跳ねています。そして、それらとは比較にならないほど少量の野菜もあります。これらは、カンボジアの人たちが大好きな昼食の食材です!

カンボジアの人々は、何でも食べます。ポルポト時代にはどんなものでも食べなければ生き延びられなかったため、その時に得た遺伝子なのでしょう。鶏でも魚でも、頭から爪の先まで全て食べます。バッタやタランチュラ(毒グモの一種)も例外ではありません。生姜や胡椒をかけたら、美味しくいただけます。

車でカンボジアを移動していると、道路はバイクやスクーターで溢れています。乾季には、アスファルトの国道以外をバイクやスクーターで走る際、埃まみれで汚い空気の中を走らなければならず、それは気管支炎を起こす要因となります。統計によると、気管支炎は、カンボジアにあるドイツ国際平和村の基礎健康診療所を利用する患者たちの中で最も多い疾患です。

カンボジアで人気のタランチュラのスナック

カンボジアを訪れる人たちのほとんどが観光を目的に訪れます。圧倒的な規模のアンコールワットや多くの寺院のおかげで、トンレサップ湖のほとりにある小さな漁村だったシェムリアップが、毎年300万人が訪れる観光都市になりました。7日間有効の寺院への入場券(37米ドル以上)で、クメールの神聖な建造物を満喫することができます。この地域は、経済都市となりました。中国からだけでも、2018年内に訪れた観光客は120万人にも及ぶそうです。多くの観光客が訪れることから、建造物や自然が被害を受けていることは、専門家でなくても明白に分かります。

アンコール遺跡の一つ タ・プローム寺院

古い大木に囲まれ神秘的な雰囲気であったタ・プローム寺院は、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「トゥームレイダー」が撮影されたことで、大変有名になりました。現在、この寺院は、ララ・クロフト役のアンジェリーナ・ジョリーが戦った場所で写真を撮ろうとする観光客で大混雑しています。そこから50メートルも離れていない場所に、ひっそりと樹木の隙間から顔をのぞかせている地蔵がいました。20年ほど前にここを訪れた人たちが、病が治癒すると信じ、この地蔵を撫でていたそうです。地蔵を覆っている樹木はすでに枯死しています。この樹木と地蔵を観光客から守るために、現在はここへの立ち入りは禁止になっています。

カンボジア北西部の観光地は、アンコール遺跡群だけではありません。プノン・クレーンは、クメール王朝の発祥の地として、聖なる山と呼ばれています。北側のタイとの国境には、プレア・ヴィヒア寺院があります。古い歴史を持つ美しい寺院ですが、その帰属をめぐって、長年タイとカンボジアで衝突が続いていました。現在は、この寺院がある山岳地帯は平穏を取り戻したように見えますが、紛争中に残され、いまだに撤去されていない地雷が、この寺院の帰属に対する両国の執拗なこだわりをを表しています。

 

プレア・ヴィヒア寺院の僧侶

カンボジアには、寺院以外にも見どころがたくさんあり、川の自然や野生動物との出会いを楽しむこともできます。メコン川沿いのクラチエという街は、カワゴンドウ(別名イラワジイルカ)が見れることで有名です。観光用ボートに乗船すれば、間近で見ることができます。なにより、この国を500キロメートルも流れるメコン川上の壮絶な滝や息を呑むような夕日は、心が奪われる情景です。南部のコンポンチャムやラオスの国境近くのストゥントレンも魅惑的な街です。

ベトナム国境近くのモンドルキリ州には、ベトナム戦争下では、悲劇のホーチミン・ルートが存在しました。運が良ければ、ここでは猿やへび、それに象に出会えるかもしれません。

メコン川沿いのブリキ小屋

カンボジア南部のタイランド湾には、港湾都市シハヌークビルとケップビーチが存在します。その海岸線には、64の美しいエキゾチックな島々が点在します。カニ市場がお勧めのケップと胡椒栽培で有名なカンポットのホテルの宿泊代金は高額になりました。昔は、欧米人の犯罪が行きかう秘密の場所だったシハヌークビルも、現在はゴミと工事現場だらけの庶民的な街になりました。シハヌークビル(コンポンソム)にいるのは、もはや中国人観光客だけではなくなりました。ソビエト連邦時代に建設されたシハヌークビル空港は、近年中国の支援のもと再建築され、再開港しました。ここアジアで重要なカギを握る空港になることは間違いないでしょう。

メコン川

 

カンボジア料理のレシピを紹介

アモック ~カンボジアのフィッシュカレー~

バナナの皮で作った器に包み、蒸していただくカンボジアの国民的料理です。

【カレーペーストの材料】
にんにく 6片
乾燥赤唐辛子(種なし) 2~6本
レモングラス 4本
ガランガル(ショウガでも代用可) 1個(親指2本分ほどの大きさ)
カフィアライム(コブミカン)の葉 4枚
パームシュガー(又は砂糖) 大匙1
シュリンプペースト(またはオイスターソース) 小匙1
ナンプラー 大匙3
お好みでココナッツミルクを適量

【カレーペーストの作り方】
15分間、乾燥赤唐辛子を熱いお湯につけ、細かく刻む。レモングラス、カフィアライム(コブミカン)の葉、ガランガル、にんにくも細かく刻む。すりばちかフードプロセッサーを使い、なめらかなピューレ状にする。パームシュガーとシュリンプペースト、ナンプラーで味付けをし、お好みでココナッツミルクを加える。しっとりとなめらかなペイストが出来上がり。

【材料】
魚の切り身 1kg
ココナッツミルク 1ℓ
卵 3個
ほうれん草 100g
カフィアライム(コブミカン)の葉 2枚
唐辛子 2本
バナナの葉(又は耐火性の型)
ナンプラーと砂糖
ジャスミンライス 500g

【作り方】
魚を適当な大きさに切る。カレーペースト、ココナッツミルク、かき卵(3個分)を混ぜたものに、魚を浸しつける。(A)
バナナの葉とつまようじで器を作る。(バナナの葉がない場合は、耐火性の容器を使用する。)
それぞれの器に、ほうれん草と(A)をそれぞれ均等に入れる。熱湯のお湯をはり、(もしもあれば竹製の)蒸し器で15分~20分間蒸す。細かく刻んだカフィアライム(コブミカン)の葉と唐辛子を上にちらす。
ジャスミンライスを添えたら、出来上がり。

クイティウ ~カンボジアで人気の麺スープ~

塩味が効いた澄んだスープに、好みの材料を加えて食するクイティウはカンボジアの国民食で、地域によって特色があります。茹で卵や、新鮮な野菜、肉、魚介類を入れたり、様々なソースを加えたりするなど、バリエーション豊かです。どの地域でも共通しているのは、米粉から作られた麺を使用することです。

【豚ヒレ肉の下ごしらえ】

・品質の良い豚ヒレ肉 1枚
・塩 小匙1
・コショウ 小匙1
・油 小匙3

よく切れる包丁で豚肉の薄皮を取り除く。豚ヒレの先の薄い部分は取っておく。オーブンを100度に設定し、予熱する。

油をフライパンにしき、豚肉を炒める。塩コショウで整え、オーブンに約30分間入れて火を通す。(豚肉に完全に火を通したい場合は、更に10分ほど長くオーブンに入れておく。)


【スープ】

・鶏ガラスープ 400㎖
・水 400㎖
・しょうが 2㎝片
・レモングラス 2束
・塩 小匙1
・砂糖 大匙2

しょうがの皮をむき、スライスする。レモングラスを洗い、縦に半分にする。鶏ガラスープと水、塩と砂糖を入れて沸騰させる。しょうがとレモングラスをスープに加え、15分から30分、ぐつぐつ煮る。必要であれば水を加える。


【ガーリックオイル】
・にんにく 4片
・油 大匙8

にんにくの皮をむき、スライスする。油を温め、スライスしたにんにくを中火で黄金色になるまで炒める。油からにんにくを取り除き、油を冷ます。

【ソース】
・醤油 大匙4
・オイスターソース 大匙4
・パームシュガー(または黒砂糖) 大匙2

砂糖がとけるまで、全ての材料を混ぜる。

【麺と具(4人分)】
・米粉麺 250g
・卵 4個
・ねぎ 1束
・乾燥キクラゲ(またはキクラゲ属のキノコ) ひとつかみ
・チリペースト 小匙2
・お好みで塩コショウ

①乾燥キクラゲを熱湯にひたす。

②茹で卵(茹で時間は8分間)を作る。ゆであがった後は流水で冷やし、殻をむく。崩れないよう気を付けながら、玉子を半分に切る。

③ねぎを洗い、輪切りにする。下準備しておいた豚ヒレ肉を薄切り(5ミリほど)にする。

④麺をゆでる。(たいていの場合、熱湯に数分)

⑤麺を4つの器に盛り分ける。それぞれに大匙2から3のソースをかけ、大匙1のガーリックオイルをかける。

⑥鶏ガラスープをかけ、その他の材料を付け合わせる。塩コショウ、チリペーストで好みの味にする。

写真・文 ウリ・プロイス(Uli Preuss)
カンボジア料理のレシピは、プロイス氏がFoodtravel-Blog「http://mjamm.com」を参照しました。

 

 

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