助け合う気持ち
子どもたちの笑い声や歓声、そしてポルトガル語の音楽。それらは、ドイツ国際平和村施設にあるオフィスで仕事をするナタリー・フィ-ンケンとカルメン・ピッチーニの耳に、いつも届いています。
「ドイツ国際平和村施設で流れる曲は、ジャンルも言語も様々です。」と、ピッチーニは言います。
子どもたちが歌う歌詞は、アジアの言語だったり、ポルトガル語だったり、子どもたちそれぞれの母国語です。中には、それらの曲に合わせて踊る子もいます。子どもたちの故郷の音楽や踊りは、子どもたちの生きる喜びの表れでもあるのです。ドイツ国際平和村施設では、常時150人以上の子どもたちが生活しています。フィーンケン、ピッチーニをはじめとする職員とボランティアが、この子どもたちのお世話をしています。
子どもたちの宿舎から、遊び場の広場やリハビリセンターまで移動する際、子どもたちは友だちの車いすを力強く、そして愛情豊かに押し、一緒に移動します。共に助け合うということが、ドイツ国際平和村の子どもたちに強くしみついています。
生活する宿舎からリハビリセンターまで
想い合い、助け合って
ドイツ国際平和村に訪れた人たちは、子どもたちが重いケガや病気を抱えているのにもかかわらず、あきらめず、前に進もうとしている姿に気づきます。2歳から12歳までの子どもたちは、スポーツや遊んでいる際、また痛みを伴う包帯替えの時、どんな時でもお互いに支え合って暮らしています。「リハビリセンターで、ある友だちが怖がっていたら、そばに来て励ますという行為は、子どもたちにとって当たり前のことです。」と、リハビリセンターでボランティアとして活動している医師の1人が言います。「助け合いの心は、重いケガや病気を抱えたドイツ国際平和村の子どもたちが元気になるために必要です。」と、彼は続けます。
ドイツ国際平和村のリハビリセンターを統括しているスタッフ職員のベアベル・アーレンスは、経験豊富な看護師です。アーレンスは、子どもたちが手術・退院後にドイツ国際平和村施設でどのように過ごしているのかをこのように話します。「ここでの生活で重要なことは、元気になることです。そのために、通院、リハビリ、運動を行っています。そして、子どもたち自身が持っている自立心をより高めることです。」子どもたちのもつ自立心は、元気になろうとする力をさらに強くし、治癒へ導きます。子どもたちのお世話の部署のスタッフとリハビリセンターのスタッフは、子どもたちの自立心の強さについてこのように語ります。「ドイツ国際平和村の子どもたちは、自分自身の身体のことをよく分かっています。」子どもたちは自身のことに、きちんと注意を払っており、まるで「小さいお医者さん」のようです。
ドイツ国際平和村でも、子どもたちの一日は、顔を洗い、歯を磨き、服を着替えることから始まります。
子どもたちは、ケガや病気の症状にかかわらず、基本的に身の回りのことは自分でします。」と、ピッチーニとフィーンケンは言います。もちろん手助けが必要なときは、スタッフがサポートします。朝食後、子どもたちは、ほぼ毎日リハビリセンターで処置を受けます。
リハビリセンターの日常
リハビリセンターで子どもたちが処置の前に入る待合室という名の遊び部屋は、ほのかに消毒液のにおいがします。ここでは消毒は必須です。ウズベキスタンのヴァヒダ、アフガニスタンのダニッシュ、アンゴラのオスバルダは、ボランティアのダグマーさんとシルビアさんと一緒に、三角形の積み木や他のおもちゃを並べて遊んでいます。
年少の子どもたちには、ダグマーさんとシルビアさんは動物の絵本を読んで聞かせます。長い時間はかけません。なぜなら、次から次へと処置室へ来るようにと子どもたちの名前が呼ばれるからです。「だから待合室では、レゴやプレイモビールなどの時間をかけて楽しむ遊びはしません。」と、ダグマーさんは言います。10分もすればオスバルダは通院のため出発し、ヴァヒダは創外固定具の消毒に、ダニッシュはリハビリにへと呼ばれることを、ダグマーさんは知っています。1日に70人から100人もの子どもたちが包帯替えやリハビリを行うリハビリセンターでは、慣れたスタッフとボランティアがしっかりと1日の流れを把握しています。
ヴァヒダ、オスバルダ、ダニッシュは2時間後には、子どもたちの生活している宿舎近くの食堂で、150人以上もの子どもたちと一緒にご飯を食べていました。今日の献立はスパゲッティボロネーゼとサラダ。子どもたちに大人気なメニューの1つです。食事前に、毎回子どもたちが揃って行っていることがあります。
ともに生活する中で
毎回食事の前に交代で、ある子どもが号令をかけます。当番の子どもは、ある時は「ティンシュリック」と言い、ある時は「パズ」と、皆を代表して声を上げます。「ティンシュリック」はウズベキスタン語で、「パズ」はポルトガル語で、どちらも「平和」という意味です。そのかけ声の後に、子どもたち全員が手をつなぎ、ドイツ語で「フリーデン(平和)!」と言います。
世界各国から集まった子どもたちは、共同生活の中でも、お互いに助け合っています。おもちゃで遊んだり、学びの場で歌ったり、また本を読んだり踊ったりする午後の自由時間にも助け合いの光景がみられます。こうして、ともに平和に暮らした経験を、母国へと持ち帰るのです。子どもたちはともに生活する中で、どんなに複雑な意見の相違があったとしても、話し合って解決できることを学んでいきます。
ドイツ国際平和村の施設には、定期的にドイツの青少年も訪れます。ドイツ国際平和村の平和教育部門が行うプログラムの参加者です。ドイツ国際平和村施設内の「出会いの場」に滞在・宿泊します。ドイツ国際平和村の子どもたちの母国についてのセミナーを受けるほか、実際にドイツ国際平和村の子どもたちと一緒に工作や料理をすることで交流をします。青少年たち、ドイツ国際平和村の子どもたちにとっても、この出会いと共有する時間は、重要な意味を持ちます。
平和村語とは
カルメン・ピッチーニはクスリと笑いながら話します。「子どもたちの話す言葉はもちろん理解できますが、ここで話されるドイツ語は標準語ではありません。平和村語はドイツ語に、子どもたちの母国語の言葉が入っています。」子どもたちは渡独する前に、最低限の意思疎通を図るためのジェスチャーを学びます。渡独後は、イラストが入っているドイツ語と母国語の絵本を使って、また他の友達と話したり、遊んだりする中で、言葉を習得していきます。例えば、施設内で頻繁に使われる単語「ムレタ」があります。この言葉は、ポルトガル語で「松葉杖」ですが、典型的な平和村語です。
協力病院で入院中
子どもたちにとって、協力病院に入院中も、病院スタッフやお見舞いをするボランティアとのコミュニケーションが重要です。オルデンブルク市に住んでいるビアギット・プラムベックレッツさんは、入院中の子どもたちに寄り添うボランティアの1人です。彼女は1997年からこのボランティアをしています。「私がお見舞いに訪れることで、子どもたちが少しだけでも自分が病気だということを忘れる時間が持てればと思い、活動を続けています。」この気持ちが、プラムベックレッツさんの活動の軸になっています。そう思える楽しい時間が過ごすことができれば、お互いにとって最高です。
「病院での最後の検査の日に、母国に帰ることができると分かった時、子どもたちはとても喜びます。」と、ベアベル・アーレンスは言います。長い病院での治療とドイツ国際平和村施設でのリハビリの期間を終えて、家族の待つ母国に帰る前、帰国する子どもたちはドイツ国際平和村施設に残る友だちと一緒に、帰国パーティをします。帰国を祝うこの午後の時間に、ビアギット・プラムベックレッツさんはじめ、他のボランティアも参加していました。このボランティアの皆さんはそれぞれドイツの異なる町で子どもの入院中に寄り添っていましたが、退院をして施設にいる子どもに会いに来ていました。
帰国:やっぱり家族の元が一番
「子どもたちを見舞っていた頃の思い出や子どもとの関係は大切にしていきます。」と、ボランティアの皆さんは言います。「私たちがお世話をしてきた子どもたちは、ようやく家族とまた暮らせると喜んでいます。」200名弱の子どもたちが、約3時間ものパーティの間、様々な出し物や発表を楽しみました。ドイツ国際平和村の子どもたち、帰国する子どもたち、ボランティア・インターン生、そしてスタッフが、スポーツや音楽やショーを楽しみました。
子どもたちのお世話をしているスタッフにとって、子どもたちとのお別れは辛いものなのでしょうか?ナタリー・フィーケンとカルメン・ピッチーニは、うなずいて答えます。「子どもたちとともに時間を過ごす中で、繋がりは深まっていきますが、ここでは大家族のような関係で日々を過ごします。」とフィーケンは言います。「子どもたちは大家族の中で育ってきました。帰国した後も家族たちが待っていてくれています。」と続けます。フィーケンとピッチーニの考えは一緒です。子どもたちとお世話をする大人は、「ちょうど良い距離間」を保つ必要があります。ピッチーニは言います。「私たち大人はいつも、子どもたちの健康と、子どもたちはいずれ母国に帰り再出発を切ることを常に考えておかなければなりません」
子どもたちは、治療を終えたら、母国の家族のもとに帰る。これが、ドイツ国際平和村が守り続けていることです。ドイツ国際平和村代表のトーマス・ヤコブスは次のように語ります。「私たちにとって重要なことは、子どもたちが元気になること、そして、ドイツで経験したことを胸に、家族のもとへ帰っていくことです。」子どもたちへの医療援助後、母国に帰すことは、子どもたちの渡独前にドイツ国際平和村が家族と約束していることです。ヤコブスは続けます。「この約束は、今まで守り続けられてきました。この信頼があるからこそ、これからも、アンゴラ、ウズベキスタン、そしてその他の地域の子どもたちに援助を届けることができるのです。」
写真: Jens Braune del Angel, Martin Büttner, Friedensdorf International(ドイツ国際平和村), Uli Preuss, Jakob Studnar, Roland Weihrauch
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