循環し、派生する希望

希望とともに援助活動の歴史が刻まれていきます。

ジョゼマウリシオは、ドイツ・オーバーハウゼン市のドイツ国際平和村施設にいます。彼にとって静かな再会です。痛みが伴なっていた日々への回想と希望に満ちた現在。心に響く静かな瞬間がそこにあります。

彼は、ドイツ国際平和村を通し、健康な体を取り戻しました。25年前の当時、彼は小さな男の子でした。彼の母国アンゴラでは長く続く内戦があり、その結果彼は重度の骨髄炎を抱えていました。アンゴラでは脚、または命を失っていたかもしれません。現在、父親でもある彼は、ケガや病気を抱えた子どもたちに同行してドイツに来て、今、平和村施設で立っています。時間や距離を超えた強さと絆を持ち合わせた平和大使としてです。

ジョゼマウリシオは、サンドラ医師、現地パートナー団体のエトナとともに、5月22日、ドイツでの治療を必要としている子どもたちに同行してドイツに来ました。そして、6月2日、2人の子どもを連れて、母国に帰国しました。

「10歳の時に、初めてドイツに来ました。当時、私は歩けませんでした。ドイツ国際平和村の援助がなければ、脚を失っていたでしょう。」 と静かにジョゼマウリシオが語ります。「治療のために、彼は、ドイツ東部の2か所の病院でそれぞれ長い間滞在していました。手術も何度もあり、痛みに耐えていました。同時に、人々の心配りや温かさ、信頼も感じていました。一人ではないというゆるぎない感覚です。​

この体験は、深く彼の心の中に留まっています。現在は、アンゴラ現地パートナー団体のスタッフとして、16年前から、ケガや病気を抱えた子どもたちに寄り添っています。時々、援助飛行に同行し、ドイツに来ることもあります。それぞれの子どもが、当時の彼自身と重なるようです。当時は不安を抱えた小さな男の子でした。「今の私にはわかります。癒しというのは医学以上のもので、思いやりであり耳を傾けることです。他の人が手を放してしまっても、差し伸べ続ける手なのです。」と彼は言います。

そして、つながりは続いていきます。彼の娘、ロザリナも泌尿器系疾患を抱えており、その治療のため、ドイツ国際平和村の支援を得てドイツに来ていたことがあります。「私は、ドイツ国際平和村が受け入れた『かつての子ども』というだけではありません。人生の中で最も大切なものである娘の健康を取り戻した父親でもあるのです。」と目に涙を浮かべながら、ジョゼマウリシオが言います。

アンゴラで彼は、学校や自治体、病院で彼の経験を話しています。痛みと希望、そして、ヒューマニズムの力についても語ります。「私はアンゴラ内戦を目にしました。戦争というもの、全てが崩れてしまうということを経験しました。他方で、誰かが自分を信じてくれるということがどういうことなのか、それを体験することもできました。私が見つけたこの光が、より多くの子どもたちに届くことを心から願います。アンゴラ、アフガニスタン、そしてすべての国・地域の苦しんでいる子どもたちに届きますように。」

子どもたちが健康を取り戻し、母国に帰っていく瞬間は、言葉で表現しきれないときがあります。それは、別れであり、出発でもあります。そして、苦しみに対する静かな勝利でもあります。ドイツ国際平和村の活動を通し、ケガや病気が治癒するだけでなく、子どもたちは新たな友と出会い、それぞれの人生の道を開き、彼らの痛みは希望に変わるのです。当時小さかった彼に支援の手が届きました。そして、彼は今、それを次につないでいます。希望の輪が一周しました。その輪は、また周り始めています。

5月22日、アンゴラの子どもたち59人が、ドイツでの治療を受けるため渡独しました。母国では治療が不可能であるという運命を抱えていた子どもたちです。その二日前、5月20日には、以前の援助飛行で渡独し治療を進めていて、元気になった子どもたち25人が、家族のもとに帰国しました。そして彼らの新たな人生の1ページが始まっています。

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