ドイツ国際平和村スタッフがアフガニスタン入り(現地からの報告)

アフガニスタンから現地報告 2023年2月

2023年2月8日(水)にドイツ国際平和村スタッフのビルギット・ヘルムートとクラウディア・ペップミュラーがアフガニスタンへ向かいました。カブールでは、ケガや病気を抱えた子どもたちとその家族がスタッフのアフガン入りを待っています。スタッフは子どもたちとの面会、それに現地プロジェクト活動の視察を予定しています。定期的に、アフガニスタンからの情報をお伝えします。

【2023年2月19日 アフガニスタン・カンダハール】

今日はカンダハールに来ています。ここの社会福祉事業「マラストゥーン(平和のための共同体)」の施設を訪れました。ドイツ国際平和村のアフガニスタン現地パートナー団体「アフガニスタン赤新月社」がアフガニスタン各地で、この事業に取り組んでいます。

ここでも、経済的な困難さはありますが、平和が大切にされています。

【2023年2月18日 アフガニスタン・カブール】

私たちは2時間ほど前にジャララバードから戻りました。 ジャララバードにある社会福祉事業「マラストゥーン(平和のための共同体)」の施設を訪れていました。子どもたちの遊び場では、目を輝かせた子どもたちの笑い声が広がっていました。そして、子どもたちの母親たちは、改装された部屋や新しいキッチンに驚いていました。このキッチンは、火元が大人の腰の高さくらいにあります。今までは床に穴をほり火を燃やしていましたが、このキッチンでは、子どもの手が火元に届きにくく、事故が減るでしょう。今回の改築は、多くの人の手によって取り組まれました。特に、アフガニスタン現地パートナー団体である赤新月社のおかげで実現しました。子どもたちが子どもらしくいることができ、心向くままに遊ぶことができるようになったのです!

【2023年2月17日 アフガニスタン・カブール】

感動的な再会:かつての子ども、エザとアフガニスタン現地入りしているスタッフ、ビルギット・ヘルムートが再会しました。約30年前、彼は銃弾による傷を負い脚が動かせない状態で、ドイツ国際平和村と出会いました。医師たちは、彼の治癒に関して悲観的でしたが、エザは車いすを乗りこなせるようになりました。ヘルムートは、当時の彼のことをよく覚えています。

この度、エザはドイツ滞在中に学んだことを語ってくれました。感染症の広がりを抑えるためにも、衛生的な生活や定期的なシャワーが重要であると学んだことを特に覚えています。そして、「自分にできないことに目を向けるのではなく、自分にできることをに目を向けます。」と彼は言います。彼は、彼自身の状態を受け止め、動きに制限があったとしても何が可能であるかということに焦点をあてました。このような姿勢の重要さを伝えたいと彼は言います。彼は、身体の動きに制限がある人々の社会への再融合を促進するプログラムに取り組んでおり、当時ドイツで彼が受けた支援を、アフガニスタンの人々に向けて還元しています。

【2023年2月15日 アフガニスタン・カブール】
今日も早朝から重症のケガや病気を抱えた子どもの家族が、200以上が面会を待っています。3月に予定されているチャーター機を使用しての援助飛行でドイツに来る子どもたちはすでに決まりました。ドイツでの受け入れ病院の数にも限りがあり、これ以上は受け入れられないのです。面会をした家族たちには、その次の援助飛行での支援を待ってほしいと話しました。
ある女の子が面会にやってきました。見覚えのある顔です。そう、彼女は以前、ドイツ国際平和村の支援を受けていました。彼女は兄弟と共に面会に訪れ、近況報告をしてくれました。
【2023年2月14日 アフガニスタン・カブール】
90年代にドイツ国際平和村の医療援助を受けたかつての子どもが面会にやってきました。近況を報告したくスタッフに会いにきたのです。90年代当時、左足に骨髄炎を患っており、アフガニスタンでは治療はできないと判断されました。ドイツ国際平和村の医療支援を受け、ドイツで治療を受けることができたことを心から感謝していると話していました。
現在、彼は医師となり、Afghan-Japan Communicable Disease Hospital(アフガニスタン・日本 感染症病院)で活動しています。この病院は2014年に日本が無償資金協力で建設しました。医療・保健環境が非常に厳しいアフガニスタンでは、結核が死亡要因の上位を占めています。子どものときに、ドイツ国際平和村の医療支援を受けたこの男性は、現在、感染症に対する治療を提供するための設備を整えたこの病院で、コロナや結核感染者の治療にあたっています。ドイツ国際平和村の支援を受けていなければ、現在の自分はいなかったと強くスタッフに語り、アフガニスタンの人々のために尽力しています。

【2023年2月13日 アフガニスタン・カブール】
先ほどまで、シア・モハマッドがオフィスを訪れていました。彼は、約20年ほど前に、手のケガのため、ドイツ国際平和村の医療援助を受けました。今回は、右手にやけどを負った甥を連れて、オフィスを訪れました。「20年前に渡独するとき、当時の代表のロナルド・ゲーゲンフルトナーとビルギット・ヘルムートが付き添ってくれていたんだ。医療支援を受けたこと、ずっと忘れずにいたんだ。甥も医療支援を受けられることを願うよ。」と当時のことを話してくれました。

写真:当時付き添ってくれたビルギット・ヘルムート(中)とシア・モハマッドとその甥

【2023年2月12日 アフガニスタン・カブール】
カブールに到着して以来、ケガや病気を抱えた子どもたちとその家族との面会が深夜までかかっています。ここには毎日100家族以上が面会にやってきます。今日は面会前の時間を利用して、現地プロジェクト活動の一つ「マラストゥーン(平和のための共同体)」での井戸構築を視察しました。この井戸のおかげで、ここで生活するシングルマザーや子どもたちへ清潔な飲料水を提供できるようになりました。

その後、この施設内にある温室も見学しました。温室栽培を通し、自給自足の生活ができるようになることを目標としています。温室で育った野菜や果物を自分たちが得るだけでなく、販売をすることも可能になります。現地パートナーであるアフガニスタン赤新月社も持続可能な現地プロジェクト活動を喜んでいる様子でした。

【2023年2月11日 アフガニスタン・カブール】
22歳のファゼルは、2011年から2012年までドイツ国際平和村の医療援助を受け、ケガの治療に励んでいました。治療を終えて、帰国する際にドイツの担当医から23歳くらいになったら、腰の再治療が必要になるかもしれないと言われました。そのことを忘れずにいたファゼルは、ドイツ国際平和村のスタッフがカブール入りするという情報を聞き、遠い道のりを経て、カブールまでやってきました。面会の際に、痛みはないけど、再治療が必要かと聞かれ、検査結果からはその必要はないと伝えました。それを聞いた彼は、だいぶ安堵し、この結果を、すぐに彼の妻と3人の子どもたちに伝えたいと話していました。16歳で父親になったそうで、家族のために、どんな仕事でもしているそうですが、生活が厳しいというより、満足していると話していました。子どもたちの話もしてくれ、そのときの彼はとても幸せそうです。10年以上も経過してからの再会で、かつてドイツで治療を受けた子どもが、現在こんなに幸せに暮らしていると知り、私たちスタッフもとても嬉しかったです。
【2023年2月10日 アフガニスタン・カブール】
夜21時50分になりました。昨日、アフガニスタンの首都カブールに到着してから、すでに300名のケガや病気を抱える子どもたちと面会をしました。本日の面会終了まで、まだ2時間はかかりそうです。子どもたちがドイツで治療を受け、元気になることを多くの家族たちが切望しています。ここには多くの人々が集まってきますが、チャーター機の収容人数には限度があります。それを考えると、心が痛みます。中には、酷い状態のケガ部分に母親のスカーフを巻いている子もいます。家族たちは、包帯や痛み止めを買う余裕などありません。ここに集まった90パーセントほどの家族たちは低または無所得で、食料を買うことすら大変な状況です。何も食べない日が何日も続いているという人も多くいます。マイナス11度の極寒のアフガニスタンですが、薄着の人が目立ちます。このような中でも人々は希望を失っていません。「私たちのことを忘れずにいてください!ここまで来てくれてありがとう。」という言葉を多くの人から聞きました。

Schreibe einen Kommentar

Deine E-Mail-Adresse wird nicht veröffentlicht. Erforderliche Felder sind mit * markiert