アルメニアへの支援

ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐる紛争の中で育つ子どもたち
(2021年4月発行レポートより)

アゼルバイジャンとアルメニアの間の紛争は、100年以上にわたります。当時のソビエト連邦下にあった時代にも、虐殺や集団的な迫害行為が行われてきました。1992年のソビエト連邦崩壊後、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐるアゼルバイジャンとアルメニアの間の紛争が始まりました。

この状況下に生まれた子どもたちは、紛争が激化する可能性がある中で育ちました。男の子たちは物心ついた時から、将来は国を防衛しなければならないという意識を持つような環境の中で育ってきたのです。

国際法によるとこの地域は、ソビエト連邦崩壊後、アゼルバイジャンに帰属していますが、そこに住む大部分の人々はアルメニア人です。1994年以降、公式には停戦合意となっていますが、度々その合意は破られてきました。最近では、2020年秋、この衝突が激化しました。国境周辺のみの衝突でしたが、ナゴルノ・カラバフの首都、ステパナケルトへの攻撃にまで広がりました。この両国間の紛争は、過去にないほどに激化しました。

数週間にわたる激戦と、アゼルバイジャンが歴史的に重要な都市シュシャを奪回したと報道した後、2020年11月9日、ロシアの仲介の下、アルメニアとアゼルバイジャンは停戦協定を結びました。この停戦協定が守られ続けるかに注意を払わなければなりません。この条約によるとアルメニアは、ナゴルノ・カラバフの都市(カルバジャル、アグダム、ラチン)をアゼルバイジャンに返還することになりました。これらの地を諦められないアルメニア側にとっては、大きな損失です。今回の衝突で5000人以上もの人々が亡くなりました。初期の数日間では、多くの若い兵士が亡くなりました。特に子どもたちにとって、この状況は劣悪であり、最も苦しい状態です。子どもたちが犠牲になることもあります。子どもたちの中には、父親や兄を早くに亡くしてしまう子が多く存在するのです。

特に非道なのは、今回の44日間戦争で、クラスター爆弾と白リン弾が一般市民に向けて使用されたことです。国際人道法では、クラスター爆弾の使用を禁止しています。ドイツ国際平和村も、この武器が使用されたことを大変遺憾に思います。白リン弾の使用についても、ジュネーブ条約の追記事項にて禁止されています。白リン弾に含まれる有害物質は、衣服を透過し、骨まで焼いてしまいます。結果、重度のやけどを負い、多くの場合、死に至ります。クラスター爆弾が一つでも投下されれば、広範囲に被害をもたらし、人々を負傷させます。

ナゴルノ・カラバフや国境地帯から避難している人々、とりわけ子どもたちに向けて、基礎的な医療を提供するため、ドイツ国際平和村はアルメニア現地パートナー団体の支援要請に対応しました。アルメニアの首都エレバンを含むアルメニア各地の医療施設では、傷ついた子どもたちやその家族の医療手当をするにも、包帯類や医薬品など医療物資が不足している状況です。加えて、長引くコロナ・パンデミックにより、医療は崩壊状態にあります。それゆえ、ドイツ国際平和村は、エレバンのアルメニア現地パートナー団体に、緊急医療支援セットを5セット届けました。「1セットあたり、約1万人の人々に、医療を提供することができます。この緊急医療支援セットは、パートナーを通して、緊急に医療手当が必要な人々を抱える様々な都市の病院や小児病棟へ分配されました。」と、ドイツ国際平和村代表、ビルギット・シュティフターが説明しました。

今回の衝突前には、ナゴルノ・カラバフとその近郊地域に、約14万8千人の人々が住んでいました。紛争下では約9万人の人々が故郷を去らなければなりませんでしたが、そのうちの5万人が現在は再び故郷に戻っています。いまだにアルメニアに避難している人もいますが、人々は間借り住まいで、職もなく、将来の展望もありません。加えて、約1000人のアルメニア人が行方不明中です。

アルメニア現地パートナーのバルジャン氏(右)が緊急医療支援セットを受け取りました。病院や小児病棟へ分配しました。

アルメニア現地パートナー団体であるアルメニア子ども基金の
バルジャン氏へインタビュー:

ナゴルノ・カラバフ紛争が再発生すると思っていましたか?

バルジャン氏:残念ながら、さらなる激化は避けられないのではと思っていました。OSCE(Organization for Security and Co-operation in Europe)のミンスクグループの最近の会合では、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐる紛争の折り合いをつけることはできませんでした加えて、軍備に多くが投資され、第3国の介入により、紛争の脅威は増々現実的になりました。

 

現在のアルメニアの状況を教えてください。

バルジャン氏:残念ながら良いとは言えません。アルメニアのテロリストが国境地帯を制圧しています。この国境地帯に住む人々は常時不安を抱えながら生活しています。日々、銃弾が発砲された音が聞こえ、家畜が盗まれています。道路は通行止めとなり、家屋はテロリストの在処となっています。

 

コロナ・パンデミックの影響も含め、アルメニアの医療保健システムの現状を教えてください。

バルジャン氏:この44日戦争の前と比べると、医療状況や人々への医療供給は確実にひどくなっています。紛争期間中のCovid-19感染者数と比べると、感染者の数は現在減少しています。新規感染者の数は、1日あたり100人から200人で、1日に3人から7人の人々が亡くなっています。

 

緊急医療支援セットはどこでどのように人々の役に立ちましたか?

バルジャン氏:ドイツ国際平和村の支援により届いた緊急医療支援セットは、アルメニア各地に届けられました。エレバン市とギュムリ市では、小児病院に送りました。その他の地域では、様々な健康保健機関に届けられました。緊急医療支援セットは、この危機的状況下で大変ありがたい支援であり、人々は感謝しています。

 

この度々再熱する紛争で最も影響を受けているのはどういった人々でしょうか?

バルジャン氏:爆撃を最も受けているのは、ナゴルノ・カラバフの市町村で、そこでは多大な損害が出ています。ステパナケルト市の家屋、病院、学校は、銃撃戦の被害にあいました。戦争で最も困難な状況に陥るのは、一般の人々です。多くの親が兵役義務で戦地に向かった子どもをずっと探しています。亡くなったか、アゼルバイジャン軍に捕らえられたままなのでしょう。今なお160人を超える戦争捕虜がアゼルバイジャンより釈放されていません。

 

ナゴルノ・カラバフ地域から避難してきた何千人もの人々は現在どうしていますか?

バルジャン氏:大変な思いをしながらですが、捕虜として捕まらない運も持ち合わせて、人々は避難することができました。しかし、故郷と家屋を失いホームレスとなってしまいました。今回の衝突が収まったあと、ナゴルノ・カラバフに戻ることができた人もいますが、避難者の大部分が、まだエレバンやアルメニアの他の市町村に残っています。親戚を頼って生活をしています。政府はこういった人々のために住居の建設を約束しています。また、ロシアは、ナゴルノ・カラバフから避難した人々へロシアのパスポートを発給すると伝えています。

ドイツ国際平和村のアルメニアへの援助 背景:

1992年以来、ドイツ国際平和村は、アルメニアの現地パートナー団体「アルメニア・子ども基金」と協力して活動に取り組んでいます。1994年に初めてアルメニアの子どもをドイツへ受け入れました。1996年からは、アルメニアとナゴルノ・カラバフへ向けたパケットアクション活動を始めました。2003年には、現地プロジェクトパートナーの独立事務所を設立しました。2005年には、ドイツ国際平和村が援助しているリハビリテーションプロジェクトが開始され、このプロジェクトは拡張していきました。アルメニアの子どもたちへの医療援助と援助物資輸送も進めました。エレバンのドイツ大使館からも資金援助があり、プロジェクトを行う施設の修復も行われました。アルメニア・子ども基金は、現地プロジェクト活動を一層活発に進め、2010年以降、ドイツ国際平和村は、貧困家庭の肢体障がいを抱える子どもたちへの様々なリハビリプログラムを資金援助しています。理学療法士が子どもたちの家庭に定期的に訪問し、セラピーを行うこともあります。2015年には、リハビリセンターに室内プールを設置し、水を利用した療法を提供しています。加えて、アルメニア現地パートナー団体の新しい車両の資金援助をしました。2017年には、子どもたちの手術費用も援助しました。

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