ジョージア・パートナー にインタビュー

 

ジョージアとアルメニアの国境にて アルメニアのパートナー(右)とともに メデア・アブラミア医師(左)

ジョージア パートナー
メデア・アブラミア医師にインタビュー

【どのような経緯でドイツ国際平和村とともに活動するようになったのですか?】

1994年に、初めてジョージアから14人の子どもたちが渡独しました。その後、ロナルド・ゲーゲンフルトナーとビルギット・ヘルムットが、子どもたちの渡独に同行するため、ジョージアの首都トビリシにやって来ました。私自身が初めてドイツ国際平和村を訪れたのは、1997年です。1999年には、アフガニスタンとその周辺諸国への援助飛行の際、はじめてチャーター機にジョージアの子どもたちとともに同乗しました。ドイツは私にとって「第二の故郷」です。ドイツ国際平和村に関わる一人ひとりが私にとって家族のような存在です。ドイツ国際平和村とともに活動してきた22年の間に、500人の子どもたちが治療のため渡独することができました。

【あなたにとって、ドイツ国際平和村との活動はどのような意味を持ちますか?】

ドイツ国際平和村と協力して活動を行うことで、多くの子どもたちに治療援助を提供することができました。ドイツ国際平和村のパケットアクションでは、現地の人々が必要とする食糧をドイツからジョージアに届けてもらうことができました。さらに、医薬品などの物資援助によっても、多くの人々を救うことができました。ドイツ国際平和村の活動に、大変感謝しています。かつて医療支援を受けた子どもたちは、現在成人し、家族を持っている人もいます。この活動を続けているのは、私自身のためでもあります。現在、夫は重い病気を患っています。厳しい状況ではありますが、ドイツ国際平和村を通じて知り合った多くの友人たちと話をすることで、現在の状況を乗り越えることができそうです。私にとって、ドイツ国際平和村は、人生の大きな役割、意味をなしています。

【特に印象に残っている子どもはいますか?】

治療のためドイツ国際平和村に滞在している子どもたちは、母国の家族に宛てて手紙を書きます。その手紙を私も読ませていただいています。ある子どもの手紙にはこんなことが書いてありました。「お父さん、お母さんへ。平和村はとても良い所です。電気もあるし、蛇口をひねると、水もお湯も出てきます。それに、パンもたくさん食べられます。」ドイツ国際平和村の支援を受けた子どもたちの中には、大学で医学を志望する子たちもいます。彼らは、自身が支援を受けて将来の希望を得られたように、自分が医師になることで、母国の子どもたちを助けたいと考えているのです。そのような意思で、大学で医学を専攻している「かつての子どもたち」が、ジョージアには3名います。

【将来に何を望みますか?】

これからもドイツ国際平和村が活動を続けていけることを願います。私は年を重ね、病気も患っています。もしも、私が今後活動できなくなっても、娘が引き継いで活動することになっています。彼女は大学で医学を専攻し、医療の実践的な経験を積むために6ヶ月間ドイツに滞在していました。私の孫も、医学とドイツ国際平和村の活動に興味を持っています。今後も家族が、ドイツ国際平和村の活動を受け継いでいくことになったら嬉しいです。

 

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