日本とドイツ国際平和村の繋がり-深い絆

日本とドイツ国際平和村の繋がり-深い絆

日本とドイツ国際平和村との繋がりは、1994年に始まりました。その繋がりは、

日本からの寄付、チャリティイベント開催などの支援、ドイツ国際平和村施設での住み込みでのボランティア活動、さらに講演会やイベントや学校での平和教育という形で、現在まで続いています。その様子は皆さんにもお伝えしているので、ご存知の方も多いかと思います。実に多くの日本の方々が、ドイツ国際平和村の活動を支えてくれています。その全ての方々のお名前をこのレポートに挙げるのは不可能ですが、下記の方のお名前を例としてあげさせていただきます。ドイツ国際平和村大使の東ちづるさん、メディアコーディネーターのマリオン・ズーア・モイリヒさん、整形外科医の矢倉幸久さん、「世界ウルルン滞在記」ディレクターの河原剛さん、カタログハウス社の倉垣千秋さん、ビック・エスインターナショナル設立者の大坂靖彦さん、2005年愛知万博への参加のきっかけを作ってくれた長谷川千春さん、「にこにこ一般財団法人」の浅野敬子さん、日本の支援サークルの皆さんです。今回のレポートでは、今までのドイツ国際平和村との繋がりや絆について触れていこうと思います。

東ちづるさん(左)とマリオン・ズーア・モイリヒ(右)さん

まずはこの繋がりのきっかけを作ったキーパーソンを紹介します。マリオン・ズーア・モイリヒさんです。日本で育ったモイリヒさんは、第二の故郷であるドイツで、メディアコーディネーターとして活躍しています。彼女が日本の取材班に同行し、ドイツ国際平和村を訪れたのは、1994年のことです。NHKの番組で、国際ボランティアというテーマでドイツ国際平和村が取り上げられました。その後、モイリヒさんは当時の人気番組『ウルルン滞在記』のディレクターにドイツ国際平和村のことを紹介し、1999年に『ウルルン滞在記』でドイツ国際平和村が取り上げられることになりました。

この放映の視聴率は高く、日本に住むたくさんの方にドイツ国際平和村のことを知っていただくきっかけとなりました。この放映とその後の『ウルルン滞在記・ドイツ国際平和村』続編が、日本とドイツ国際平和村が深い繋がりを持つ奇跡の物語の序章になりました。ここには、東ちづるさんが深く関わっています。東ちづるさんは、とても有名な女優であり、一般社団法人Get in touch 代表であり、ドイツ国際平和村大使でもあります。その東さんのことを、ドイツ国際平和村のスタッフたちは、親しみをこめて「チー」と呼んでいます。東さんと『ウルルン滞在記』ディレクターの河原剛さんは、取材でドイツ国際平和村をはじめて訪れて以来、ドイツ国際平和村の活動に共感し、以降定期的にドイツ国際平和村を訪れ、今ではドイツ国際平和村の活動を共に行う仲間となりました。

東ちづるさんは、女優としても社会活動においても有名で、ドイツ国際平和村にボランティアをしに来たことをきっかけに、その後も引き続き日本でドイツ国際平和村のことを伝えてくれています。そのおかげで、日本からたくさんの支援が届くようになりました。

東さんが、初めてドイツ国際平和村へやってきたとき、子どもたちが重いケガを負っていたり、病気を抱えていたりすることに、大きなショックを受けました。東さんはこのように伝えています。

「ドイツ国際平和村とつながったのは1999年。

あの日の衝撃は一生忘れません。傷ついた子供たちの身体、笑顔、涙、困惑・・・
あれから私の人生は大きく変わりました。
広島で『平和教育』を受けて育った私は、平和への関心は高いと思い込んでいました。ですが、アクションをしなければ何も進まないと気づきました。
平和は脆いもの。平和は『祈る」『願う』ものではなく、私たちの頭で考え、私たちの手で作り、守っていくものです。1人では微力、1人で語る理想は妄想。でも、皆んなでつながれば大きな力となるんですね。
そう信じて、日本でもあらゆることを試みてきました。
平和村にチャリティーになる絵本『マリアンナとパルーシャ』や、エッセイ本『私たちを忘れないで~ドイツ国際平和村より~』を出版したり、講演やイベント、ボランティア同村会を開催したり。1人でも多くの人に平和村を知ってもらいたい、1円でも多くの募金を

送りたい、その一心で動いています。
ですが、現実はとてもキビシイですね。こんなにも戦争、紛争、内戦が多い世紀になってしまうとは、とても無念、残念です。正直、くじけそうにもなります。
ですが、実際、喜ばしいこともたくさんあります。

日本からボランティアとしてきた人がその後、平和村スタッフになったり、ボランティア専用の宿舎が建てられたり、国道が『ヒロシマ通り(Rua Hiroshima)』と名付けられたり、植樹した桜が花を咲かせたり、ピースボートさんが平和村を訪れてくれたり・・・大きな励みになっています。

これからも悲喜こもごもあるでしょうが、工夫を凝らしながら、平和村の皆さんと情報・意見交換をしながら前へ進んでいきたいと思っています。失敗や間違いは新たな気づきとなると信じて。

くさらず、あせらず、あきらめず。

『平和村の解散』に向けて。

子供たちの笑顔のために。あの子たちの笑顔は本当に最高ですものね。

そしてまた、『同志』の皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。

東 ちづる」

「平和は祈るものではなく、私たちの手で作っていくものです。」と、東さんは述べています。たくさんの日本の方が世界で起きていることに目を向けるようになり、それらを他人事ではないと受け取るようになりました。そのためドイツ国際平和村が行っているような平和に向かうための活動に関わる方が増えてきました。

東ちづるさんが築いた繋がりは、例えば以下のように日本に広がっていきました。

①インターン/住み込みボランティア
テレビ放映などでドイツ国際平和村の活動を知った日本の人たちが、6か月から1年という長期にわたり、紛争地域で傷ついた子どもたちを直接支援するため、日本からはるばるドイツまで駆け付け、活動に参加しています。彼らは、このインターン/ボランティアのために、ドイツまでの渡航費を自費で支払い、大学や仕事を休学・休職、もしくは辞職してやって来ます。

②矢倉幸久医師
2007年以降、毎回、自費で日本からドイツまで来て、ドイツ国際平和村の子どもたちへの支援を続けています。2011年からは援助飛行の日程に合わせ、年に4回約2週間滞在しています。矢倉医師の渡独回数が30回目となったのは、2018年2月のアフガニスタンとその周辺諸国への援助飛行の時です。今までの矢倉医師の活動に感謝の意を込め、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスが矢倉医師にプレゼントを手渡しました。その際、矢倉医師はこのように言いました。

「ドイツ国際平和村の子どもたちが自分たちで作った大きな桜の木をもらえて、とても嬉しいです!」日本のことに詳しい人は知っ

ているかと思いますが、短い間しか開花しない桜は、日本人にとって、生命力と美しさを象徴するものとして知られています。世界中でケガや病気で苦しんでいる子どもたちが少しでもこの生命力を取り戻せるよう、矢倉医師はできる限りの支援を行っているのです。

③カタログハウス社
『通販生活』というカタログを発行しているカタログハウス社は、2002年以降、ほぼ毎回、カタログの中で、ドイツ国際平和村のことを紹介する記事を掲載しています。また、カタログハウス社の仲介により、ドイツの家電メーカーであるミーレ社の現地法人「ミーレ・ジャパン株式会社」から高品質の製品をご寄付としていただきました。

近年では、通販生活読者ツアーとして、読者の皆さんがドイツ国際平和村を訪問しに来てくれています。

④ピースボート
船で世界を旅しながら各地を巡るピースボートに乗船した皆さんの中から有志の皆さんが、ドイツ国際平和村に滞在しています。この繋がりも、東ちづるさんがつないでくれました。ピースボートは世界各地を訪れ、国際交流を行うことを目的としています。

⑤イラストレーター 原田みどりさん
原田さんは、平和の象徴の鳩でドイツ国際平和村マスコットキャラクターの「フリーダ」を、無償でデザインしてくれました。

⑥支援サークル「フロインデスクライス」
日本には、東京・大阪・徳島・福岡・大分の全5か所にドイツ国際平和村支援サークルがあります。支援サークルの皆さんによって、定期的にチャリティ・イベントやドイツ国際平和村の活動を紹介する講演会などが開催されています。企画された講演会では、ドイツ国際平和村でインターン/住み込みボランティアに参加した人がその経験を伝えることもあります。

 

⑦学校
ドイツ国内の日本人学校の児童・教員の皆さんが、活動についてセミナーを受け、ドイツ国際平和村の子どもたちと交流するため、平和村施設を訪問しています。その学校の卒業生の中には、インターン/住み込みボランティアとして、のちに活動した人もいます。

互いを想い合う精神

日本国内では、繰り返し起こる自然災害による被害があるにも関わらず、日本から1万3千キロも離れたドイツ国際平和村を想い、活動に協力してくれる人がたくさんいます。2011年には、東日本大震災とその影響で起きた福島原発被害がありました。そのような中でも日本の人たちは、ドイツ国際平和村の活動と子どもたちのために何ができるのかと、わざわざ日本から連絡してくれるのです。このような状況の中で、日本人の皆さんは、自分のことよりも世界の別の場所で苦しんでいる誰かのことを想い、行動する心を持っています。私たちドイツ人はこの精神を見習わなければなりません。

対照的だったこの日…

世界の違う場所で、全く異なることがこの日に起きていました。2018年7月、ドイツ国際平和村施設では、毎年恒例のお祭りピースインポットを開催しました。施設でのお祭りは、人々の笑顔が溢れるとても良い雰囲気に包まれていました。多くのスタンドが並び、様々なプログラムが、来ている人たちを楽しませました。お天気にも恵まれ、とても綺麗な青空のもと、訪問者や子どもたちがこのお祭りを満喫しました。たくさんの日本の方々も、このお祭りを訪れていました。ただ、この日、西日本では大変な豪雨被害が起きていました。

このニュースは、ドイツ第一国営放送でも報道されました。水が溢れ出す通り、解体した家屋、土砂崩れ。電気や水が断たれ、食料の供給問題もありました。

今でも避難生活を余儀なくされている人たちも現地にはたくさんいます。ドイツ国際平和村スタッフ一同、被害にあわれた方々のことをドイツより想っています。

ドイツ国際平和村の中にある日本

日本で悲惨な災害が起きた2018年7月。たくさんの日本の方々がドイツ国際平和村夏祭り「Peace im Pott」を訪れていました。そこには、「にこにこ一般財団法人」代表の浅野敬子さんと角田弘子さんもいました。2人は、ただお祭りに来ただけではなく、日本で集めた寄付や「にこたんソープ」を持参してくれました。2人は、ドイツ国際平和村の子どもたちと世界の子どもたちとの共同作品プロジェクトのため葉っぱスタンプ工作も行いました。このプロジェクトと石けんは、浅野さんが率いている支援団体の主な活動です。詳しくは「繋がっていく人の輪」と「浅野敬子さんの夢とプロジェクトの始まり」の章をご覧ください。

日本への訪問

実際に足を運び、顔を見せ、挨拶をすること、これは日本では特に大事です。2003年の終わりに、ドイツ国際平和村副代表のヴォルフガング・メアテンスとマリオン・ズーア・モイリヒさんと夫のクラウスさんが、カタログハウス社から講演に招かれ、日本に赴きました。その際、多くの方々とつながることができました。ヴォルフガング・メアテンスは、2005年にも再度、日本を訪問しました。

愛知で開催されたエキスポ「愛・地球博」にて、ドイツ国際平和村を紹介するために、「(株)ソーリス」からの招待を受けたのです。2005年8月6日に、エキスポ内の企画で、東さんとメアテンスは日本人の子どもたち4人とともに、舞台に上がり、講演しました。

この子どもたちとは、矢野加奈さん(当時10歳)、近藤菜月さん(14歳)、コリ澄人さん(11歳)、上ノ坊拓人さん(13歳)です。2004年の夏、この子どもたちは、子ども特派員としてドイツ国際平和村を訪問し、その時の様子を(株)ソーリスが撮影しました。この訪問は、(株)ソーリスのスタッフ長谷川千春さんが企画しました。そして、マリオン・ズーアモイリヒさんがその取材に同行しました。エキスポでの講演において、彼らの平和への訴えは人々の涙と共感を誘いました。また、子ども特派員がドイツ国際平和村を訪れた際の映像は、エキスポ開催期間中、市民パビリオンで上映されました。

2015年には、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスとスタッフ中岡麻記が、東ちづるさんと矢倉医師が主催するイベントへ参加するため、日本へ向かいました。そのイベントでは日本から支援してくださっている皆さんや、以前ドイツ国際平和村で活動した住み込みボランティアに会うことができ、ドイツ国際平和村から直接感謝を伝えることができました。

2010年には、写真家ウリ・プロイスさんの写真展をカタログハウス社の協力を得て、東京と大阪で開催することができました。プロイスさんは、ドイツ国際平和村の活動を支えるフォトジャーナリストの1人です。この写真展「Am Rande der Schöpfung ―生命のはざまで―」は、戦争や危機に瀕した地域の子どもたちの写真と、ドイツ国際平和村の支援の様子を展示したもので、写真展を訪れる人々の心を揺さぶりました。また、写真展開催中、プロイスさんとドイツ国際平和村スタッフ中岡麻記は、約一か月間にわたり、日本各地の支援者とともに、ドイツ国際平和村の活動についての講演会を開催しました。

繋がっていく人の輪

もう一度、浅野敬子さんのことに話を戻します。浅野さんとドイツ国際平和村との出会いは、2015年のことでした。浅野さんは、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスとスタッフ中岡麻記が出席した東ちづるさん企画のイベントに招待されていました。東さんと浅野さんは以前から知り合いで、平和や差別排除を願う活動を通してお互いに協力し合う関係でした。

2018年4月には、代表ヤコブスが再び日本を訪問し、日本の多くの友人の皆さんと出会い、そして浅野さんとも再会しました。

この訪日中には、北海道富良野にも向かい、矢倉医師主催のカンボジア現地活動報告会に加わりました。カンボジアのドイツ国際平和村現地パートナーであるヘン氏が、カンボジアにおけるプロジェクト活動や現地の実際の様子などを報告しました。

日本を訪問する際には、もちろん東さんと会い、互いに近況報告もします。東さんと、憲法改正についても話題になりました。集団的自衛権による武力行使を認めるか否かで国民の注目を集めているこの議

論で、東さんとヤコブスの考えは共通するものがありました。

さらに日本では、カタログハウス社の皆さんとの再会はもちろんのこと、社員研修としての講演もありました。様々な出会い、繋がりを通して、日本との繋がりがより広がり、深くなっていることを感じます。

浅野敬子さんの夢とプロジェクトの始まり

浅野敬子さんは2年間カンボジアで暮らしていました。そこで浅野さんは、子どもたちを死に至らせる病気の多くは、衛生環境が劣悪であることが原因だということに気づきました。そして、「にこにこ一般財団法人」という団体を立ち上げました。にこにこ一般財団法人では、世界各地に石鹸「にこたんソープ」を届け、衛生教育を行う活動をしています。

浅野さんが一番最初に「にこたんソープ」を届けた国はカンボジアでした。

浅野さんは、カンボジアを皮切りに、現在までに計10カ国に「にこたんソープ」と届けています。ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスが浅野さんと出会った2015年には、浅野さんはすでに「にこたんソープ」の活動を行っていました。浅野さんとヤコブスがこの活動について話をし、その数週間後には50個の「にこたんソープ」が、ドイツ国際平和村の現地プロジェクト活動として支援しているカンボジアの幼稚園に送られました。

「にこたんソープ」を配ることで浅野さんが伝えたいことが4つあります。まず1つ目は、石鹸を使用することで感染症を予防できるということです。2つ目に、石鹸で学んだことを他の人と共有し、分け合うことです。「にこたんソープ」の「にこ(二個)」はその意味が込められています。この石鹸は、真ん中で切り、半分に分けることができます。3つ目に、石鹸を使用して手を洗う新たな習慣を通して、子どもたち自身が自分の

体を守ることを学びます。4つ目は、この石鹸を通して、生きていく力を身につけた子どもたちに夢を持って生きていってほしいという浅野さんの願いが込められています。石鹸を届ける活動の他に、浅野さんが支援を届けている子どもたちと一緒に行っている活動があります。それは「葉っぱスタンプ」といって、スタンプのように木の葉っぱにインクをつけて紙に押し、1つの作品を作っていくものです。その作品を、浅野さんは次に行く国へ持って行き、子どもたちに渡すのです。葉っぱスタンプを通して、世界に住んでいる子どもたち同士が繋がっていくのです。2018年に浅野さんがドイツ国際平和村を訪れた際、ドイツ国際平和村の子どもたちもこの「葉っぱスタンプ」を行いました。その作品を浅野さんは遠く離れた次の国に持って行き、そこで暮らしている子どもたちに渡します。こうして平和を願う友情の輪が繋がり、広がっていくのです。

『2018年10月発行レポート』より

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