3人の男の子が母国ウズベキスタンに帰りました

2019年4月12日 ウズベキスタン・タシュケント
3人の男の子が母国ウズベキスタンに帰りました

皆さん、こんにちは。
3人の子どもが、無事母国ウズベキスタンに帰りました。ドイツ国際平和村の子どもたちは、

治療を終えて帰国することを、「ナッハ ハウゼ(お家に帰るんだ)」と表現します。この「ナッハ ハウゼ(お家に帰るんだ)」という言葉は、毎年4回ドイツ国際平和村で行っている援助飛行の際には特に施設内で耳にする言葉です。この言葉は、ドイツ国際平和村では、とても深い意味を持ちます。今回、2歳、11歳、12歳の3人の男の子は治療を終え、8月に予定されている援助飛行を待つことなく、母国の家族のもとに帰国することができました。

ドイツ国際平和村は、年間のスケジュールの1つにウズベキスタンへの視察・訪問を組み入れています。その訪問で、次の援助飛行で渡独する子どもたちを決めます。3人の男の子は治療が終わっているので、今回のウズベキスタン視察・訪問の際に、ドイツ国際平和村スタッフと帰国できることになりました。この子どもたちは、これ以上、家族、母国、自身の文化から離れて生活する必要はなくなったのです。

ドイツ国際平和村では、通常は、年に4回の援助飛行の際に、元気になった子どもたちが一斉に帰国します。その時は、帰国する子どもたち皆が一緒に「ナッハ ハウゼ(お家に帰るんだ)」と声をそろえて合唱しながら、空港に向かうバスに乗りますが、今回の3人の子どもたちの場合は、いつものドイツ国際平和村の子どもたちの帰国とは異なるものでした。それゆえ、まだ状況がつかめていないようにも見えました。

空港に到着し、無事飛行機に乗りました。11歳と12歳の男の子は、機内座席のディスプレイで、最初に見る映画を選ぶのに夢中になっていました。その一方で2歳の男の子には、光っている物や、色々な音がどこから出ているかなど周りの全てのものが不思議に見えるようでした。彼は、出発地のデュッセルドルフ空港にいる時から、年上の男の子たちにはそれほど特別なものには見えない空港のフロアーに書かれているマークや、ピカピカとライトが光っている自動販売機を見ては、指を指して私たちに教えてくれました。

デュッセルドルフ空港の滑走路から飛行機が離陸してまもなく、2歳の男の子は深い眠りに入りました。離陸する時の騒音が、彼には眠りを誘う子守歌になったようです。

3時間後に、私たちはイスタンブールに到着しました。その後の乗り継ぎ便まで、数時間の待ち時間がありましたが、子どもたちは苦痛には感じていなさそうでした。2歳の男の子が、乗り換えロビーのイスで眠り続けている間、大きい男の子2人と私たちはトランプで遊びました。そのルールは、平和村の子どもたちが独自で考えたもので、私たちには分からないものでした。このような時に、子どもたち同士が平和村施設で深い友情関係を築いていて、他の人にはあまりよく分からないことを分かち合っていることや、子どもたちがどのように共同生活をしているかに、気づかされます。

乗り換えの時の手荷物検査の際に、はじめひそひそと話していた大きい男の子2人の声が、どんどんと大きくなっていきました。目が大きく見開いて、楽しそうにクスクスと笑い合っています。他の乗客が、携帯のスピーカーモードで、ウズベキスタン語で話していたのを聞いていたのです。母国語を久しぶりに聞いて、嬉しそうにしている男の子たちを見て、私たちも嬉しくなりました。そして、子どもたちがあと数時間で母国に到着できることへの喜びが私たちの中でも大きくなっていきました。

イスタンブールからタシュケントまでの飛行の間、2歳の男の子はほとんどずっと眠っていました。時折、眠りから少し覚めることがあった時に、まどろみの中でしくしくと泣くことがありましたが、小さいのに気丈な男の子です。眠らないと宣言していた大きい男の子2人も、この飛行の間に眠った姿を見ることができました。

私たちがタシュケントに到着した時、もう翌日になっていました。2歳の男の子は、デュッセルドルフからタシュケントまでほとんどの時間、眠っていました。

着陸直後、「ウズベキスタンに着いたよ」とそっと伝えました。飛行による騒音や乗り継ぎ空港内の移動、空港内での声高なアナウンスがあっても、男の子は眠っていたのに、「ウズベキスタンへ着いた」という一言で目を開けました。そして、男の子はコクっと頷いたのです。

 

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