心温まる再会シーン

第74回アンゴラ援助

アンゴラの首都ルアンダにある現地パートナー団体の事務所で、心温まるシーンがありました。ドイツでの治療を終えたユセルマと彼女の母親との再会です。脚に生まれつきの形成異常を抱え、年月とともに変形も加わり、歩行が困難になっていたユセルマは、約2年前にドイツにやってきました。ドイツでの治療の日々を過ごし今では13歳になったユセルマと再会した母親は、彼女の歩いている姿が信じられないようでした。歓喜とともに娘を抱きしめていました。

ハジエル(9才)は、再会の際、家族からのサプライズに大喜びでした。彼の両親は、新しい家族の一員を連れてきたのです。ハジエルは、今回共に帰国したドイツ国際平和村の友人に、小さな妹を誇らしげに見せていました。

ドイツ国際平和村のスタッフも、アンゴラの人々に歓迎されました。家族の中には数時間も待たなければならない人々もありましたが、元気になって帰国した子どもたちの家族からは、途切れることなく感謝の言葉が続きました。ドイツでの複数回の手術や数か月にわたるリハビリを経て、今回合計20人の子どもたちがアンゴラへ帰国しました。2024年5月6日のドイツ出発の日、ドイツ国際平和村の施設では「ナッハ・ハウゼ!ナッハ・ハウゼ!(おうちに帰るんだ!)」という掛け声が何度も響き渡っていました。別れの悲しさと切なさもありますが、高揚感と期待感にあふれていました。

この20人の子どもたちの施設出発から約48時間後には、先だってアンゴラ現地入りして援助飛行の準備をしていた2人のスタッフに加え、帰国便に乗り込んだスタッフとともに、74人のケガや病気を抱えた子どもたちがドイツに到着しました。現地で子どもたちやその家族と面会したスタッフ、ビルギット・ヘルムートは、「子どもたちの症状は様々です」、と報告しました。多くは骨髄炎、重度の四肢の変形、やけどによる重度の皮膚拘縮、泌尿器系疾患を抱えています。

今回渡独した子どもたちの多くは、地方の州からやってきました。人々に医療が行き届いていないことは明らかです。加えて、人々は、貧困や日照りに苦しみ、汚染された水による感染症発生の危険にさらされています。都市部でも、貧困、空腹、窮状が際立っています。アンゴラの子どもクリニックの医師に、倍以上の数の子どもたちをドイツに連れて行ってほしいと涙ながらに懇願された際には、現地入りしたスタッフも心が痛みました。「クリニックには何もありません。医療品、医師、スタッフ、本当に何もありません。」と、ビルギット・ヘルムートが言います。

アンゴラでは、レントゲン写真の撮影には12ユーロかかり、個人が負担します。アンゴラの平均月給は、ユーロ換算して277ユーロです。ドイツ国際平和村が受け入れる子どもたちの家族は、平均以下の収入しかありません。

援助飛行のチャーター便に同行したスタッフ、ナタリー・ブロルは言います。「目に入ってくる町の様子は、惨憺としていました。ごみの中から食べられそうなものを探している子どもたちがいたるところにいて、多くは1人で、ぼろぼろになった服を着てあたりを歩いていました。小学校低学年くらいの年齢の子どもたちでさえも、家族のために少しでもお金を稼ぐため、例えば靴磨きなどの仕事をしています。」

ポジティブな出来事もあります。ドイツ国際平和村を通して以前ドイツでの治療の機会を得て元気になった「かつての子どもたち」が、ルアンダの面会場所で力を貸してくれました。箱やカバンへの物の詰め込み、運び出し、片付け、そして、必要な際には通訳もしてくれました。アンゴラ内戦が停戦となって22年たった今でも支援を必要としているアンゴラの状況はありますが、この「かつての子どもたち」の活躍が希望です。「勇気をもって自らの道を切り開いている彼らを誇りに思います。現在、彼らは様々な分野の専門職、通訳、看護師になるべく職業訓練を受けています。」と、ビルギット・ヘルムートが報告しました。

第74回目のアンゴラ援助も多くの方々のご協力があってこそ実現することができました。この場をお借りして、今回の援助飛行を可能にしてくださった全ての皆様に心よりお礼申し上げます。

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