アフガニスタン政変2年

アフガニスタン援助は継続しなければなりません。

アフガニスタンでの政権交代から2年。「カブール空港での衝撃的なシーンを忘れることはできない」と、アフガニスタン現地パートナーのマルーフ医師は語ります。ドイツ国際平和村スタッフのビルギット・ヘルムート、クラウディア・ペップミュラーとともにマルーフ医師は、当時、タリバンによる首都制圧が誰も予想できないほど急速に進んだ様子を肌で感じていました。その後、この国への経済制裁が、既に困難な状況にある人々をさらに苦しめている様子を目にしています。「アフガニスタンでは、大家族が多いです。子どもたちはこれからのアフガニスタンを担っていきます。ただ、仕事をしたくても働き口はなく、子どもたちに食べさせる食糧や必要な薬、家賃などを支払うことができません。」とマルーフ医師は、アフガニスタン現地の状況を語ります。彼は8人家族で、唯一収入がありますが、カブールの井戸が枯れてしまったために、追加で飲料水を買う必要も出てきました。

ドイツ国際平和村のアフガニスタン現地パートナー団体「アフガニスタン赤新月社」のスタッフも、マルーフ医師の報告に同調します。赤新月社は、3カ所に社会福祉事業マラストゥーン(平和のための共同体)を運営しています。ここは、孤児やシングルマザーとその子どもたちに生活の場を提供しています。この施設に入所を希望する人々が日々増えているのです。基本的には、家族を養う夫の死亡が入所の理由ですが、人々は子どもたちを養うことができないほど困窮しています。既に微々たるものしか所持していなかった人々に、自然災害も追い打ちをかけています。

ドイツ国際平和村は、1988年から、適切な治療を受けられないアフガニスタンの子どもたちをドイツに受け入れ、治療の機会を提供しています。この援助は今まで以上に必要です。2023年3月に援助飛行を行った際にも、明らかでした。包帯は既に贅沢品となっていました。多くの子どもたちが骨髄炎を抱え、骨がむき出しになるほどまでに炎症が広がっています。この骨が見えている部位は、包帯ではなく、母親のスカーフで覆われているのみです。

「ドイツ各地の協力病院も経営難が続く中、治療の必要な子どもたちを受け入れてくれ感謝しています。」と、ドイツ国際平和村代表ビルギット・シュティフターが言います。そして、ドイツ国際平和村へ届く多くの方々のご寄付によって、アフガニスタンへの食糧物資支援も度々実施してきました。8月第2週目には、ドイツ国際平和村が資金援助した医薬品の配送が、アフガニスタン赤新月社へ無事に届きました。特に必要とされている鎮痛剤を多く含め、その他の医薬品と飲料水を通し、基本的な医療供給を可能にします。「過去2年間、約270万ユーロを、食糧物資支援と人々の基本的な生活環境を整えるために使いました。同時に、人々に職も提供することができました。しかし、支援を必要とする人々や劣悪な環境はまだまだ存在します。」とシュティフターは付け加えます。

ドイツ国際平和村の食糧物資支援や様々なプロジェクトだけでは、アフガニスタン全土を救えませんが、30年以上、カブールにおける子どもたちと家族との面会に関わってきたマルーフ医師は、これらの支援やアクションの継続が重要であると言及します。彼は、8月9日(水)、ドイツ・オーバーハウゼン市で開催されたヒロシマ・ナガサキ追悼イベントに参加し、「全ての人々の平和と公正」という願いとともに、8月10日(木)、治療を終えた子どもたち9人とアフガニスタンへ帰国しました。

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