ドイツ国際平和村 設立50年に寄せて
ドイツ国際平和村前代表 トーマス・ヤコブス
設立から50年が経とうとしている
ドイツ国際平和村をご支援くださり、
誠にありがとうございます。
私たち、ドイツ国際平和村のスタッフはいろいろな世界を行き来しています。私たちが住んでいる世界は、平和に住め、きれいな水が手に入り、空腹が満たされ、必要なものが溢れています。しかし世界の違う場所では、今も銃撃が鳴り響き、地雷があり、戦争が繰り広げられてるのです。水がとても貴重で、多くの人々が毎日空腹という世界もありますし、少数の人々だけがとても裕福で、多くの人々が極貧困層だという世界もあります。
大きな違いは、医療制度にあります。私たちの住む国では、高水準の療法を受けられる可能性が大いにあります。上にあげたような世界では、この可能性はほとんどありません。医師たちが、ほとんどいなくて、病院や医療費に必要なお金もありません。
この50年間、この状況はほとんど変わりませんでした。
平和村設立当初、広島と長崎での原爆投下(1945年)やベトナム戦争(1955年から1975年)の惨事、そしてたくさんの犠牲者から、人々はたくさんのことを学び、今後はより穏やかな世界になってほしいと願っていました。それが、未だに叶っていません。
過去を振り返ると、世界の格差はどんどん広がっています。大変若くして、多くの人に惜しまれながら亡くなった前代表ロナルド・ゲーゲンフルトナーの願いだった、「いつの日か、私たちの施設が必要となくなる。」世界になるまでには、まだ時間がかかりそうです。彼は先見の明があり、ドイツ国際平和村の活動の国際的な関心を広げました。治療を受けたいという子どもたちや家族からの声が増えるたびに、そこが紛争地域であることをより切に感じます。
ドイツ国際平和村では、設立日に50周年のお祝いはしません。その代わりに、2017年7月8日に予定している夏祭り“ピース イン ポット”の際に、式典を予定しています。ドイツ国際平和村が50年も存在し続けることに、祝うべき理由はありません。だからこそ、“50周年の祝典”はあえてしません。本来は、ドイツ国際平和村のような施設があってはいけないのです!
1つだけ、ここで伝えたいことがあります。ドイツ国際平和村もこの50年間、何度も壁にぶつかり、危機的な状況に陥ったことがありました。1971年から1975年まで代表を務め、今のドイツ国際平和村の基盤を整えたペーター・シュトゥ-ベ氏は、ベトナム戦争最後の数日を経験し、治療のために渡独していたベトナムの子どもたちの問題に直面しました。彼らの多くは、この時、母国へ帰国することができなかったのです。
その後の代表ホルスト・アムバウム氏(1977年から1982年まで代表)は、当時の理事たちとこの問題に取り組み、ドイツ国際平和村に残ることになったベトナムの子どもたちが、ドイツ連邦共和国で、今後どのように生活していくか、財政面や職業面について、考えていかなければなりませんでした。この問題に直面している間、ドイツ国際平和村は、財政難に陥っていました。この当時の職員は、給料の支払いを待つこともありました。
これらの全ての問題を解決してきたからこそ、ようやくポジティブな方向へ向かうようになりました。それに、今日まで定期的に支援してくれた支援者、後援者、ボランティアの方々、そして、現地パートナースタッフ、医師、介護士、病院の事務職員、並びにドイツ国際平和村のスタッフ、代理人たちが、私たちの活動の意味をきちんと理解し、これからも共に活動していけるからこそ、これからも問題を解決していけるでしょう。
私たちの活動は、今後大変になっていくでしょう。それは、この国の変化した条件によるものです。病院の専門性を重視する医療制度が医療費を上げ、児童青少年扶助の変更が、さらに状況を難しくしています。
ドイツ国際平和村も、将来、変わっていかなければならないでしょう。特に、子どもたちへの医療援助がこの問題に直面することになります。けれども、ドイツ国際平和村は、可能な限り、この援助を続けていきます。過去にもすでに行っているように、紛争地域や危機的状況にある国への現地プロジェクト活動をさら広げ、現地の医療制度の向上の支援をしたいと考えています。
私たちの活動は、焼け石に水だとよく言われます。そうかもしれません。でも、この一滴が集まれば、川ができ、川が集まれば、海になるのです。
この50年間で、貧困、悲しみ、それに無力を変えていくことが、可能だと知りました。共に助け、人間らしく生きましょう。そうすれば、無力が信頼に変わっていきます。
最後に、ドイツ国際平和村の設立者たちについて、ふれたいと思います。彼らは、50年前に新境地を開拓しました。何が良くて、正しかったのかは、後になって分かるものです。ドイツ国際平和村の設立者、プロテスタントのフリッツ・ベルクハウス牧師と当時オーバーハウゼン市長だったルイーゼ・アルベルト市長には、平和村がこの先どうなるかは分かりませんでした。ただ彼らは、ベトナム戦争の被害者たちを救いたいという市民たちをまきこみ、今のドイツ国際平和村に導いたのです。厳しい意見もあるかと思いますが、彼らがいたからこそ、ドイツ国際平和村があるのです。
平和溢れる一年になりますように。
ドイツ国際平和村
トーマス・ヤコブス
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