ヒロシマとナガサキを想い…

被爆者の想い・願いを伝え、繋げる

 

8月6日(木)21時に、オーバーハウゼン市のFriedensplatz(平和広場)で行われたヒロシマとナガサキの追悼式に、被爆者を祖母に持ち、被爆者の想いを伝える活動を続けている川﨑花笑さんが登壇しました。

川﨑さんのスピーチは以下です。
「こんばんは。川﨑花笑です。3月から、平和村でインターンをしています。私は22歳で、その人生のほとんどを、大好きな祖母と共に暮らしてきました。彼女は長崎の「被爆者」です。長崎に原子爆弾が投下されたとき、祖母はまだ赤ん坊でした。祖母とその母親は助かりましたが、祖母の父親は爆心地の近くで働いていたため、全身にやけどを負い、翌日に亡くなりました。

祖母が命を繋いでくれたから、私は今日ここにいます。

私の曾祖母は、被爆直後の地獄のような長崎を見ました。想像してみてください。あなたが生きるカラフルな日常が、一瞬にして焼け野原になり色を失ってしまうことを。あの日、目や内臓が飛び出し、想像を絶する苦しみの中で亡くなっていく人々を目にした曾祖母はこう話していたといいます。
「血が燃える匂いがずっと記憶に焼き付いて忘れることができない。」

そして多くの被爆者は生涯をかけて、「誰にも、二度とこのような苦しみを経験させてはいけない。」と訴えてきました。
そんな願いとともに私は育ちました。

16歳の時に、祖母の体験と平和への思いを世の中に伝え始め、講演や署名活動、途絶えた追悼会の復活などを行いました。そして現在は広島の大学で学び、平和教育に取り組むNPO法人で活動しています。そんな中、私は平和村に来ました。分断や対立が深まる現在の情勢を前に、私はしばしば自分の無力さを感じます。しかし、平和村の子どもたちの笑顔は、平和そのものであり、希望の光のように思えました。

ある被爆者がこんな言葉を残しています。
「平和の原点は、人の痛みがわかる気持ちを持つことです。」

平和村の子どもたちは、重い病気や怪我を経験し、手術も受けてきました。だからこそ彼らは、幼いながらにも他者の痛みを自分ごとのように理解し、思いやりを持って接することができるのかもしれません。

平和は、自然にやってくるものではありません。でも、届かないものでもありません。

誰かの話に、耳を傾けること。自分とは違う人生に、心を寄せること。そして、「あなたにも幸せでいてほしい。」と願うこと。その大切さを教えてくれたのは、平和村の子どもたちでした。

その子どもたちが大人になっていく中で、社会の理不尽さに絶望しない世の中を創るために、私は、自分がいる場所から平和を始めたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。」

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