-未来へ向けて-
2017年7月8日(土)、アンゴラ、アフガニスタン、アルメニア、ウズベキスタン、カンボジア、キルギス、ジョージア、タジキスタン、日本、ベトナム、ドイツからのゲストがドイツ国際平和村設立50年の式典へ参加しました。
また、式典ではドイツ国際平和村スタッフたちと18人の子どもたちが、出席者350人の前で一緒にテーマソングを歌いました。このテーマソングは、ドイツ国際平和村のスタッフが作詞作曲したもので、「Danke(ありがとう)」を伝えています。「あなたが助けてくれた、あなたが動かした、あなたが周りの人へ世界の様子を伝えてくれた。」という歌詞が歌の中にでてきます。また、この式典では、ドイツ国際平和村の活動に対し、オーバーハウゼン市より「Glückauf-Bronze」賞も授与されました。
かつてドイツ国際平和村の援助を受けていたベトナムの方たちも、当時から現在までの想いを語ってくれました。ドイツ国際平和村の子どもたちは、治療が終わると母国にいる家族のもとへ帰ります。ただ、当時のベトナムの子どもたちは、1975年以降、共産主義の勝利により、母国への帰還ができなくなりました。彼らは、治療が終わると、ドイツ国際平和村の支援を受けながら、ドイツでの新しい生活を始めなければなりませんでした。式典のまず初めに、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブス、そして理事長スザンネ・グリューネヴァルトが、このベトナムの方たち、ボランティア、ドイツ国際平和村大使である俳優のギュンター・ランプレヒト、元ドルトムント(BVB)のキーパーであるハンス・ティルコフスキー、ドイツ国際平和村スタッフ、それにサポーターに挨拶をしました。
ドイツ国際平和村代表ヤコブスは、在デュッセルドルフ日本国総領事館の水内龍太総領事、ダニエル・シュランツ オーバーハウゼン市長、ミヒャエル・ハイディンガ― ディンスラーケン市長へも挨拶をし、式典へご参加くださったことに加え、日頃のご協力に感謝を伝えました。
ドイツ国際平和村は過去50年から現在に至るまで、紛争地域・危機的状況にある国への支援をするため、様々な決定をしなければなりませんでした。式典では、ドイツの病院が提供してくれる無償での治療もテーマになりました。現在、各病院の経済的な理由で、無償で治療をしてくれる病院の数が減少しています。そのような状況でも、ドイツ国際平和村の活動には、無償で治療を提供してくれる協力病院が必要です。医師や病院の管理職の方とこれからも連絡を取り続けていくことは、現在のドイツ国際平和村の活動を維持するために大変重要なことなのです。この式典では、近隣の病院へだけでなく、全ての協力病院へ感謝の気持ちが述べられ、さらに、援助飛行の際に支援してくれているドイツ赤十字、オーバーハウゼン交通社、デュッセルドルフ空港、そして協力病院がある地域のボランティアスタッフへも感謝を伝えることができました。
式典の司会を務めたのは、オラフ・クラハト氏です。彼は、この式典の最後に、ドイツ国際平和村を取り上げてきたジャーナリストたちとのトークセッションを行いました。そこで彼らは、「心を動かす写真や力強い命の存在は、ドイツ国際平和村にいたら、誰もが撮影できます。なぜなら、それらが、ここドイツ国際平和村の日々の活動の中にすでに存在するからです。」と語りました。
式典の中で、ベトナム出身の重い障害を持ったLy氏が、今後もドイツ国際平和村の活動を続けていくために聞いてほしいと話したことが印象強く残りました。Ly氏は、1970年代に母国ベトナムへ帰国できなかったかつての子どもの一人です。「私は、当時ドイツ国際平和村の援助を受けられたことを、ありがたく思っています。人間は子どもたちに対し温かい心を持っているはずです。ドイツ国際平和村が、私たちへ生きる力を与えてくれたように、今、このときも援助を必要としている子どもたちのために、行動を起こしてください。」
写真: カーステン・ヴァルデン
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