アフガニスタンへ現地入りしたスタッフからの報告

アフガニスタン視察 ~現地からの報告~

2024年6月26日(水)、ドイツ国際平和村スタッフ3名が、ジャーナリストのヤン・イエッセン氏とシュタイネン-ペルシュケ医師とともに治療を終えた20名の子どもたちに付き添い、アフガニスタンへ向かいました。カブールでは、ケガや病気を抱えた子どもたちとその家族が、スタッフとの面会を求めて待っています。以下、現地入りスタッフからの報告です。

【2024年7月7日 アフガニスタン・バグラーン州】

アフガニスタン・バグラーン州にあるブルカ地区ファルールにいます。カブールからこの地区にくるまで13時間を要しました。今年5月10日に起きた洪水で鉄砲水がこの村を襲いました。
62名が亡くなり、1000家族が家屋を含むすべてを失いました。家の基礎壁が少し残る程度、もしくは何も残っていない状況です。かつては畑や果樹園があった場所には、今は山から流された瓦礫で覆われた乾いた砂漠の風景しかありません。羊、鶏、山羊が洪水で命を落としています。

家をなくし、着用している衣類しか所持していないような多くの家族は現在、8人、9人もしくは10人一緒に仮設テントで暮らしています。現在、気温は40度をはるかに超えていますが、ここには水道も電気もありません。ファルールで医療援助を行っているアフガニスタン赤新月社の医師たちは、最大6000人の子どもたちが皮膚病、シラミの蔓延、栄養失調、下痢などで苦しんでいます。この地域は、冬には厳しい寒さが襲います。ドイツ国際平和村はこのような状況を5月に知り、すでに医薬品などの支援物資を現地に直接届けています。

今年、アフガニスタンでは、32もの州が、豪雨による鉄砲水の被害を受けています。何百人もの人々が亡くなりました。約25万人が全てを失いました。気候変動の影響は、世界で最も貧しい国の1つであるアフガニスタンに大きな打撃を与えています。

【2024年7月4日 アフガニスタン・カブール】

ジラには、子どもが5人います。6年前に、薬物依存症だった夫が亡くなり、その当時住んでいたクンドゥズからカブールの小さなアパートに引っ越してきました。清掃員として働く彼女の給料は一日2ユーロ60セント(430円ほど)で、多く稼げたとして月給として80ユーロ(13,000円ほど)です。5人の子どもを育てていくには、十分ではありません。なので、子どもたちが医療機関を訪れることはとても困難なのです。この状況を嘆く暇はないと、彼女が言います。彼女は、9歳の娘の足の状態を見てもらうためにこの面会にやってきました。

【2024年7月3日 アフガニスタン・カブール】

大変よいお知らせです!アーマードの手術が無事行われました。骨髄炎を患っていた右足の脛骨の前面から合計10×2cmの感染物質を取り除く手術でした。アーマードの入院中は、父親が付き添います。一日も早く、痛みを感じずに歩けるようになりますように。

【2024年7月2日 アフガニスタン・カブール】

2023年11月より、アフガニスタンのカブールにある2軒の病院と協力し、現地での手術プロジェクトを開始しました。ドイツ国際平和村スタッフたちは、骨髄炎を患っているアーマードに付き添い、病院へ向います。彼の状態なら、現地での治療が可能です。明日、ドイツ国際平和村のボランティア医師であるシュタイン・ペルシュケ医師がアーマードの手術に立ち会います。

【2024年7月1日 アフガニスタン・カブール】

午前3時。前日早朝から夜中にかけて、ドイツ国際平和村のスタッフたちは、ドイツで治療が必要なケガや病気を抱えた子どもたちの面会を続けました。オフィスの前の壁のへこみでは、面会を待つ家族が寝泊まりしています。遠方からカブールまで移動してき、親戚などの伝手がない人々はこうして夜が明けるのを待ちます。移動だけで精一杯で、宿泊代を支払う余裕などないのです。面会をする子どもたちの中には、十分な食事を得られていないため、極度に痩せている子どもたちもいます。

カブールでは日中、移動式の屋台で新鮮な果物や野菜を販売する光景も見られます。一見すると食べ物は足りているように見えます。パン屋からは焼きたてのパンの匂いが漂ってきています。カブールのバザールでは織物や香辛料も販売されています。2021年8月にタリバン政権に交代後、交通はそれ以前と同じくらい慌ただしく騒々しくなっています。髭を生やし、長髪の警官や兵士が検問所を通過する車に手を振る光景も見られます。そのため、街中がスモッグで覆われています。

首都の平穏な印象は現実とはかけ離れています。特に地方の大多数の人々にとって、経済状況は依然として破滅的です。多くの人々が失業し、将来への展望がなく、栄養失調に陥っています。今年、鉄砲水によって何百人もの人々が命を落とし、何千もの家屋が破壊されました。3日前には、カブールの西200キロに位置するバーミヤンで、2家族全員が大量の水で溺死したと聞きました。150世帯が家を失っています。ドイツ国際平和村が支援できることを把握するため、数日中にこの洪水地域を訪れ、状況を視察する予定でいます。

【2024年6月30日 アフガニスタン・カブール】

面会3日目。アフガニスタン赤新月社の待合室とされている大ホールには、空席がありません。この中に37歳のアブドゥルが娘と一緒に待っていました。ようやく自分たちの番になり、スタッフが面会をしている部屋に入ったアブドゥルは、平和村スタッフのビルギット・ヘルムートと平和村の現地パートナーのマルーフ医師を見た瞬間、満面の笑みを浮かべました。26年前にアブドゥル自身が、ドイツ国際平和村の医療支援を受けていたのです。この二人は当時もアフガニスタンで面会を行っていました。

アブドゥルは、治療を受けた右足を見せてくれました。当時骨髄炎を患っており、そのための治療でした。ドイツ国際平和村で過ごした時間は、彼にとって治療の時間であっただけでなく、様々なことを経験できる時間でもありました。「平和が存在することで、人々にどれほどの恩恵がもたらされるかを体験した」と話しました。

彼はできる範囲で母国の人々を助けているそうです。特に病気を患った人々を積極的にサポートしています。アブドゥルは、スタッフに再会するためにここに来たのではありません。彼の娘もまた、平和村の支援を必要としているからです。

【2024年6月29日 アフガニスタン・カブール】

ケガや病気を抱える子どもたちとの面会2日目です。現在夜の11時です。ドイツ国際平和村チームは、4時間だけ睡眠をとり、今朝9時から仕事に取り掛かっています。100人以上の子どもたちをみました。子どもたちの両親は、子どもたちが治療を受けられるならと、アフガニスタンの首都カブールまで大変な道のりを超えてやってきます。なかには、移動に数日を要した家族もいます。

この写真の家族はアフガニスタンのヘラート州から4日間もかけて、首都まで移動してきました。抱えられている子は。足に骨髄炎を患っています。両親はこの骨髄炎の治療のために、現地アフガニスタンで、すでに4000ユーロ(約60万円ほど)も支払っています。父親は日給の仕事をしています。うまくいって月65ユーロほど稼げる程度です。そのような経済状況下で医師が強い姿勢で4000ユーロを請求してきたのです。
現地パートナー団体アフガニスタン赤新月社が、ソーシャルメディアやテレビで、ドイツ国際平和村が受け入れられるケガや病気の症状についていくら説明しても、医療で治すことができない障害を持つ子どもたちが面会に繰り返しやってきます。両親たちは私たちスタッフやドイツの医師に会うことで、子どもに治療を提供できると大きな希望を持ってやってきます。彼らは、ドイツではすべてが可能だと信じこんでいます。 一部の母親たちは、まるで子供たちがお祭りやお祝いに出席するかのような華やかな衣装を着させます。希望を膨らませ、やってくる家族たちとの面会は容易ではありません。なぜなら期待を失望させたり、希望を奪ってしまう結果もあるからです。ただ、面会を通して常に感じるのは、ドイツに住む私たちが、どれだけ恵まれた健康保険システムのもと生きられているかということです。
大きなホールでは、面会を待つ人々がまだまだいます。面会はこれからも続きます。

【2024年6月28日午前3時 アフガニスタン・カブール】

面会室に入ってくる子どもたちは、眠気や疲れと葛藤しています。前日27日の朝8時から、ドイツ国際平和村現地パートナー団体である赤新月社の敷地で、ケガや病気を診てもらうために我慢強く待っていたのです!ようやく自分の番です!

【2024年6月27日(木) アフガニスタン・カブール】
現地時間、朝6時15分にカブール空港に到着しました。20人の治療を終えた子どもたちを迎えに来た家族だけでなく、ケガや病気を抱えた子どもたちを連れた家族が、アフガニスタン赤新月社のホールに集まっていました。帰国できた子どもたちを出迎える家族の喜びは、アフガニスタン現地での治療が難しくドイツでの治療に迫られている家族の不安を和らげているようでした。
写真:治療を終え、アフガニスタンへ帰国する子どもたち

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