3年ぶりのカンボジア視察

3年ぶりのカンボジア視察
~現地プロジェクト活動の効果~

ドイツ国際平和村代表ビルギット・シュティフターと職員クラウディア・ペップミュラーは、2022年11月末カンボジアに向かいました。コロナ・パンデミックの発生により、海外からの入国者は厳しく制限されていたため、3年ぶりのカンボジアとなりました。現地では長年の現地パートナーであるChau Kim Heng氏の付き添いのもと、様々なプロジェクトを視察することができました。

今回、バッタンバン市とプノンペンのごみ処理場に向かい、その地での現地プロジェクト活動を視察しました。ゴミの中から生活の糧となる物を探し求めて生計を維持している人々に、食糧品や衛生用品を配布することができました。並行して、様々な病院や基礎健康診療所を訪れました。ドイツ国際平和村は、現地の医療供給の持続可能な向上を目指したプロジェクトを資金援助しています。

バッタンバン市でのプロジェクト

視察行程の第1目的地は、バッタンバン市で、その市で行われているプロジェクトを視察しました。3年前に訪れたときから変わらず、数多くの家族がごみ山にて生活しています。「残念なことに、世界上には劣悪な生活環境があります。ごみ山で生活するという形態はその中でも最もひどい状態です。」とペップミュラーが語ります。ドイツ国際平和村が支援するプロジェクトによって、ごみの中から生活の糧を得ている家族、特に子どもたちを取り巻く環境を改善します。過去3年間で、ごみの処理方法は変化しました。リサイクルセンターでの雇用と労働環境も改善されました。子どもたちのために、サッカー場もでき、英語の授業や身体能力を高めるサーカスプロジェクトのような子どもたちへの支援プログラムの一端を担います。これらのプロジェクトの目的は、子どもたちの社会性や学習能力を促進し、カンボジアの学校システムに適応できるようにすることです。「子どもたちは、以前はごみ山で親の仕事を手伝わなければなりませんでした。」とHeng氏は説明します。「大人たちに、このプロジェクトのメリットが知れ渡りつつあり、家族も、子どもたちが心身ともに支援を受けられることを喜んでいます。」 現地入りしたスタッフは、このプロジェクトが実を結んでいることを、サーカスプロジェクトの発表イベントを通して実感しました。このイベントには過去のプロジェクト参加者も招待されました。例えば、現在は22歳になったモニーです。彼女はこのプロジェクト開始初期に参加していました。モニーは自信に満ち溢れた様子で、このイベントにやってきました。「私は家族とともに、ごみ山のそばで暮らしていました。農家の子ども、ごみ山の中で生活する子どもと、違いはありましたが、その違いをそのまま受け取り、ただ、共に同じ時間を過ごしていました。このプロジェクトで、グループの強いつながりの意味を学びました。そして、自分自身の価値を見出せたことは、私にとってとても大切なことでした。」とモニーは語ります。この自己肯定は今も彼女を支えています。「以前婚約していたパートナーがいたのですが、パートナーの家族が、私の母がごみ山から生活の糧を得ていることを知って、婚約を解約してきました。過去で判断するのではなく、その人が現在どのような人間であるかを見るべきです。」と堂々と語ります。モニーと同じようにファタイもイベントにやってきました。ファタイは農業を営む家庭の出身で、現在は理学療法を学んでいます。「サーカスプロジェクトでは、子どもらしく過ごすことができました。参加したことによって、今後の人生の道を探すことができました。」と言います。以前の参加者の3人目の例は、レアスカです。現在、法律について学んでいます。彼女の兄は農業経営を行い、弟は現在サーカスプロジェクトに参加しています。彼女も、ごみ山で生きていくこと以外の可能性があり、自分自身の意志でそのことが可能であることを見つけ出していきました。このイベントで子どもたちが発表した後は、51家族にサプライズとして、基礎食品と洗濯用洗剤が配布されました。「食糧品の価格が高騰している現在、それらは家族にとって重要な支援です。」と、ドイツ国際平和村代表シュティフターはカンボジアの人々の困苦について言及します。「加えて、豪雨が米作に影響を及ぼし、お米自体も一般の人々には手が届きにくいものになってしまいました。米を主食に生きてきた人々にとって何を食べて生きていけばよいのでしょうか?」

プノンペンのプロジェクト

第2目的地は、プノンペン市はずれにあるSomersault幼稚園でした。ドイツ国際平和村は2016年からこの幼稚園プロジェクトを支援しています。プノンペンのごみ山で生活する家庭の子どもたちへの支援が目的です。バッタンバン市とは異なって、プノンペンのごみ山のそばで生活する家族は家賃を支払わなければなりません。ごみの上ではなく、ごみ山のそばに生活場があるからというのが理由です。家賃は毎月15ドル、加えて電気に15ドルがかかりますが、プラスチック1キロ当たりの買い取り価格は1セントから3セントです。この事実は、幼稚園プロジェクトが人々に受け入れられづらい理由の一つかもしれません。家族は、家賃を支払うための収入を得るために必死で、子どもたちも手伝わざるを得ません。加えて、この幼稚園はごみ処理場から2キロ離れており、バッタンバン市でのプロジェクトのようにすぐに行ける場所にないことも挙げられます。「6歳以下の子どもをごみ山で働かすことは不可ですが、両親はごみ山に子どもたちを連れて行っています。面倒を見る人がいないからです。幼稚園に連れていく時間や、待ち合わせ場所で子どもの帰りを待つ時間さえもないようです。」と、家族のジレンマをHeng氏は語ります。「温かい昼食というメリットも、子どもたちを幼稚園へ連れていく動機にはなりえないようです。子どもたちは、無料でクメール語と英語、理科、お遊戯、地理、算数の授業に参加できるのですが、親はいつの日か子どもの教育のために出費しなければならないことを心配しています。」 Heng氏の遺憾を物語るように、登録している約100人のうち、ごみ山から来ている家庭の子どもたちは約30%です。その他は、少し状況がまだ良いごみ山のそばで生活する家庭や少しの額を支払って幼稚園に来る子どもたちです。今後は、現地パートナーによる人々への啓発がより重要になってくるでしょう。人々は、経済的にかなり苦しい立場にあります。ここでも、食料品を配布し、人々に喜ばれました。

基礎健康診療所

ごみの中から生活の糧となるものを探している家族への社会福祉分野における支援に並行して、基礎健康診療所建設プロジェクトも支援しています。基礎医療が行き渡っていないことは、今回のトラペアンプリン郡へ向かう道のりでもよくわかりました。都市からはかなり離れた地域で、人々はゴムの木やピーナッツ畑による収入で生活しています。この地で建設中の41軒目の基礎健康診療所をを訪問しているとき、「病気になったら、15キロ離れた簡易診療所に行きます。雨季の間は車なしで、この距離の移動は無理です。」と72歳の村長が話していました。もしも、もっと近くに適切な診察を受けられる医療制度が整っていれば、彼自身、そして彼の家族ももっと違う人生を歩んでいたかもしれません。1994年までは、一軒家に住んでいました。その後、彼の妻、子どもたち2人、そして彼自身が病気になり、最終的には呪われているのだろうと言われました。診療費や治療費のために、すべての家財道具を打ってお金にしなければならず、財産を失いました。新しい基礎健康診療所が開所すれば、この地域に住む約1万人の人々に基礎医療を供給できます。ドイツ国際平和村は、村長のような人生を歩む人がいなくなることを願います。また、新生児を感染症から守るため、この診療所では、分娩室を別棟に配置しました。この建設プロジェクトの責任者は、「母親と赤ちゃんの健康を守ることは重要です。2棟を建設することができ、大変嬉しく思っています。」と言います。同様に、カンボジア胡椒の生産地で有名なトゥールスノール地区でも産科病棟を別棟に配置しました。2022年、100名以上もの母親たちが出産をしました。ドイツ国際平和村は、この産科病棟を資金援助しています。ここでは、新生児の産後検診に加え、定期健診、WHOの規定による予防接種を実施しています。

 

現地パートナースタッフChau Kim Heng氏がトゥールスノール地区にある産科病棟を紹介しました。今年、100名以上もの母親たちが出産をしています。
カンボジアの過疎地区こそ、基礎健康診療所の存在が重要

「カンボジアにおける現地プロジェクト活動は成果を収めています。カンボジアの子どもたちの未来のために尽力する現地パートナーの力です。」と、今回のカンボジア視察をまとめます。「気になったのは、カンボジア全体の雰囲気です。コロナ・パンデミックは人々を苦しめています。パンデミック以前に発展を見せていた観光業は、落ち込んだままです。ウクライナ戦争の影響により物価が高騰し、人々は活力を奪われています。引き続き、カンボジアの人々への支援は継続しなければなりません。」

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