現代社会における争いの中で

「戦争」と聞いて、あなたは何を連想しますか?

三十年戦争(1618~48年)が起こっていた時代は、戦場で、騎士が刀剣を振りかざしていました。現代では、この状景は歴史映画やファンタジーの中に存在するようになり、現実のものではありません。現代の戦闘技術は、兵器の精巧性を特に追求し、開発されています。そのため、「戦争」でイメージするものは、爆発、戦闘車、破壊された街並みといった、ニュースで流れる大規模な破壊的な映像ではないでしょうか。現代では、市街地や居住地域が戦場になっています。刀剣と盾は、自動マシンガンやロケット弾、ドローンに差し代わりました。以前の騎士たちはどうでしょう。現代では、兵士が刀剣を抜くことはありません。彼らは基本的に、武器を操縦したり、ソファに座って、遠隔で赤いボタンを押すことを兵士の役割と考えています。

グローバル化された世界で、国境や大陸を超えた依存の鎖が長く存在します。一兵士によって扱われる一つの武器は、産業工業国の様々な工場によって生産されます。これらの武器生産に携わる人々は、家族を養うために働きます。この軍事産業に、私たちが利用する多くの銀行も関わっているという事実を忘れてはいけません。

争いは遠く離れたところで起きている?

スマートフォンのロックを解除すれば、現代にある対立に関連したニュースをすぐに入手できます。国内のテロ行為や排他主義の記事、それに動画も見られるようになりました。過激的思想によるテロ行為は、私たちのすぐ近くまで押し寄せています。

インターネットは、憎悪、誹謗中傷、扇動を表現するプラットフォームとして頻繁に悪用されます。それらの投稿に目を向ける瞬間は限られています。だからこそ、コミュニケーションは、迅速かつ簡潔になってしまいます。ポピュリズム的な発言は瞬く間に広がり、解決を探ることより、対立感が高まります。ツイッターの発言が、核兵器戦争の兆しをもたらしたとしても、誰も驚かない時代になってしまいました。

これら現代における軋轢が多々重なって、悲惨な出来事が現実となっています。この現実に苦しんでいる人々の多くに罪はありません。世界中にある大小の摩擦が重なり、巨大な軍事産業へと導いていきました。紛争地域に住む一般市民は、その軍事産業で生産された武器の脅威にさらされ、怯えています。彼らは、破壊や暴力、貧困に苦しみ、戦争の直接的、間接的結果が及ぼす悲しみと怒りに耐えなければなりません

依存関係とそれに関わる個々の責任を認識するのは、自分次第です。それぞれの歯車の大きさが異なるように、政策への影響や何かを変える可能性は、人それぞれ異なります。しかしながら、誰もが、このメカニズムに属し、事を起こしている歯車の一つなのです。

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まりました。今から81年前のことです。ドイツでは、毎年9月1日を「反戦の日」としていて、当時のナチズムの思想を問い、学び、原因を思考する機会となっています。ドイツ国際平和村はこの「反戦の日」に際し、過去から学び、現代に起きている争いの背景に考えをめぐらすことを喚起します。平和な世界への一歩として、日常の行動や生活の中にも、できることがあります。私たちが出会う全ての人々への対応の中にも、平和な社会への影響が、自分が想像する以上に存在します。私たち一人一人が、他を想い、行動してこそ、平和で寛容な社会の基盤が築かれます。

ドイツ国際平和村は、グローバルな世界に生きる人々へ伝えたいことがあります。私たち一人ひとり、違いがあります。同じ人間は一人もいません。そして、私たち一人ひとりが、大事な歯車であり、世界を動かしています。だからこそ、私たち一人ひとりに、平和への変化を起こす力があるのです!

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